ロシア旅行記 No57 モスクワ観光その12 クレムリン観光11 (2015年9月4日撮影) [ロシア旅行]
いよいよロシアでの最終日です。
半日、クレムリン観光です。
朝食は、ホテルのバイキングです。
まずは、動画で、ホテルから、クレムリンまでのバス移動をどうぞう、ご覧ください。
https://youtu.be/ksAIa1e9SXY
道路の傍らに、プーシキン像が建っていました。
バスから下りてクレムリン観光です。
まずは、動画をご覧ください。
https://youtu.be/O0IpnGnrNiE
残念ながら城塞の門は、工事中ですね。
城塞の中に入ってきました。
黄色の建物は、昔は、武器庫でしたが、今は衛兵の兵舎になっています。
建物は、エカテリーナ2世時代に建てられている。
↓右の塔は、ニコライ塔。
大砲が並んでいます。
200門くらいあるそうです。
ナポレオンとの戦いに使われたそうです。
ソ連時代に共産党大会が開かれたビル。
共産党大会宮殿と言うそうです。
6000人を収容できるそうです。
フルシチョフ時代の1961年に建てられた。
元老院(ロシア連邦大統領府)です。
十二使徒教会
この教会の下をくぐり抜けて、聖堂広場に出ます。
上部をアップです。
十二使徒教会の下を通っているところ
ソボールナヤ広場(聖堂広場)に入りました。
左手の教会は、
イワン大帝の鐘楼。
本体は、1505-1508年に建設、鐘楼は、1532-1543年に付け加えて、完成。
左は、アルハンゲルスキー教会、右は、ブラゴヴェシチェンスキー聖堂。
アルハンゲンスキー教会
大天使アルハンゲル・ミハイルを祀って建てられた教会。
イワン大帝の死の直前の命で、ヴェネツイアのイタリア人アレヴィズ・ジュニアの設計で、1508-1508年に建てられた。
中央は、ブラゴヴェシチェンスキー聖堂
イワン大帝(イワン3世)の命により、1484-1489年にモスクワとブスコーフの名匠によって、建てられた聖堂。
グラノフィヴィーダ宮殿に隣接し、皇帝自身の礼拝のために使われた。
この教会は、イタリア人の手によるクレムリンの他の教会よりも、純ロシア的色彩が強いとされている。
グラノヴィータヤ宮殿
主玄関を装飾する石が、多面形のためグラノヴィータヤ(多面)という名前がついた。
イタリアの名匠マルコ・ラフォーとピエトロ・ソラリが1491年に完成させた。現在も、外国大使の接見、祭典に使われている。
右、ウスペンスキー大聖堂
ウスペンスキー大聖堂
クレムリンの中心に建つ大聖堂。
かつて、ロシア帝国の国教大聖堂として、ロシア戴冠式に臨み、モスクワ総主教が、葬儀に付された場所です。
イワン1世によって建てられた最初のウスペンスキー大聖堂が、1474 の地震で、倒壊した後、イタリアの名匠アリストーテリ・フィオラバンティの設計で、1479年に再建された。
当時、モスクワのライバルであったウラジミールのウスペンスキー大聖堂を模範として建てられたそうです。
右側は、パトリアーシェ宮殿
ウスペンスキー大聖堂の北側にあり、ロシア正教の総主教の宮殿。建築年不詳。
17世紀に総主教ニコン(1605-1681年)によって、改築され、宮殿に接続する形で、十二使徒教会が築かれた。
イワン大帝の鐘楼
イタリアの建築家フリアツインが1505-1508年にかけて本体を建て、ペトロ府・マリーが1532-1543年にかけて、八面体の鐘楼を付け加えて完成した。
アルハンゲンスキー教会
アルハンゲンスキー教会
また、寒さがぶり返してきましたね。
今日は、2月8日~11日の丹頂鶴撮影行の写真整理です。
連写で、沢山撮影した後の写真整理は、いつもながら大変です。
テリーの部屋 Part 1 はこちらです。http://terry658.blog.so-net.ne.jp/
半日、クレムリン観光です。
朝食は、ホテルのバイキングです。
まずは、動画で、ホテルから、クレムリンまでのバス移動をどうぞう、ご覧ください。
https://youtu.be/ksAIa1e9SXY
道路の傍らに、プーシキン像が建っていました。
バスから下りてクレムリン観光です。
まずは、動画をご覧ください。
https://youtu.be/O0IpnGnrNiE
残念ながら城塞の門は、工事中ですね。
城塞の中に入ってきました。
黄色の建物は、昔は、武器庫でしたが、今は衛兵の兵舎になっています。
建物は、エカテリーナ2世時代に建てられている。
↓右の塔は、ニコライ塔。
大砲が並んでいます。
200門くらいあるそうです。
ナポレオンとの戦いに使われたそうです。
ソ連時代に共産党大会が開かれたビル。
共産党大会宮殿と言うそうです。
6000人を収容できるそうです。
フルシチョフ時代の1961年に建てられた。
元老院(ロシア連邦大統領府)です。
十二使徒教会
この教会の下をくぐり抜けて、聖堂広場に出ます。
上部をアップです。
十二使徒教会の下を通っているところ
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ソボールナヤ広場(聖堂広場)に入りました。
左手の教会は、
イワン大帝の鐘楼。
本体は、1505-1508年に建設、鐘楼は、1532-1543年に付け加えて、完成。
左は、アルハンゲルスキー教会、右は、ブラゴヴェシチェンスキー聖堂。
アルハンゲンスキー教会
大天使アルハンゲル・ミハイルを祀って建てられた教会。
イワン大帝の死の直前の命で、ヴェネツイアのイタリア人アレヴィズ・ジュニアの設計で、1508-1508年に建てられた。
中央は、ブラゴヴェシチェンスキー聖堂
イワン大帝(イワン3世)の命により、1484-1489年にモスクワとブスコーフの名匠によって、建てられた聖堂。
グラノフィヴィーダ宮殿に隣接し、皇帝自身の礼拝のために使われた。
この教会は、イタリア人の手によるクレムリンの他の教会よりも、純ロシア的色彩が強いとされている。
グラノヴィータヤ宮殿
主玄関を装飾する石が、多面形のためグラノヴィータヤ(多面)という名前がついた。
イタリアの名匠マルコ・ラフォーとピエトロ・ソラリが1491年に完成させた。現在も、外国大使の接見、祭典に使われている。
右、ウスペンスキー大聖堂
ウスペンスキー大聖堂
クレムリンの中心に建つ大聖堂。
かつて、ロシア帝国の国教大聖堂として、ロシア戴冠式に臨み、モスクワ総主教が、葬儀に付された場所です。
イワン1世によって建てられた最初のウスペンスキー大聖堂が、1474 の地震で、倒壊した後、イタリアの名匠アリストーテリ・フィオラバンティの設計で、1479年に再建された。
当時、モスクワのライバルであったウラジミールのウスペンスキー大聖堂を模範として建てられたそうです。
右側は、パトリアーシェ宮殿
ウスペンスキー大聖堂の北側にあり、ロシア正教の総主教の宮殿。建築年不詳。
17世紀に総主教ニコン(1605-1681年)によって、改築され、宮殿に接続する形で、十二使徒教会が築かれた。
イワン大帝の鐘楼
イタリアの建築家フリアツインが1505-1508年にかけて本体を建て、ペトロ府・マリーが1532-1543年にかけて、八面体の鐘楼を付け加えて完成した。
アルハンゲンスキー教会
アルハンゲンスキー教会
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また、寒さがぶり返してきましたね。
今日は、2月8日~11日の丹頂鶴撮影行の写真整理です。
連写で、沢山撮影した後の写真整理は、いつもながら大変です。
テリーの部屋 Part 1 はこちらです。http://terry658.blog.so-net.ne.jp/
金が好きですね、本物の金なんでしょうね。
by 斗夢 (2016-02-16 05:24)
石の壁だから大砲が必要だったのね。
日本じゃ大体火で焼けちゃうしね。^^
by たいへー (2016-02-16 08:27)
スパシーバ!
膨大な数のお写真、楽しませていただきました!
by okko (2016-02-16 16:26)
斗夢さん
教会によく、金を使っていますね。
日本を含め、古今東西、権威付けに金を使っていますね。
恐らく、金箔のようなものだろうと思いますが、よく、わかりません。
たいへーさん
この大砲は、対ナポレオン戦争の時に使われたそうですので、恐らく、行進してくる歩兵隊を、蹴散らすために、使ったのじゃないでしょうか。
okko さん
おっ、ロシア語を覚えておられましたね。
ロシア旅行も、後4回で終了です。
もう、しばらく、お付き合いしてください。
by テリー (2016-02-16 17:21)
今まで見てきた建物の中では、案外大人しい感じがする建物ですね。
by mimimomo (2016-02-16 19:33)
バイキングだとついつい食べ過ぎちゃいます^^
どうして天辺に金ぴかを使うんでしょうね。
by 美美 (2016-02-16 23:18)
mimimomo さん
そうですね。
ロシアって、結構奇抜な建物が多いですね。
美美 さん
朝食は、その1日の活力源ですので、旅先では、しっかり、食べるようにしています。バイキングと言うことも、ありますが、--。
金ぴかを使うのは、権威付けだと、思います。
by テリー (2016-02-17 22:13)