エジプト旅行No57 カイロ考古学博物館見学その3(2017年2月23日撮影) [エジプト旅行]
カイロ考古学博物館の続きです。
ハトシェプスト女王の彫像です。
頭部だけですが、結構、大きいです。
これは、ハトシェプスト女王の葬祭殿第3テラスの柱廊を飾っていたと言われています。
ハトシェプスト女王のスフィンクス像
トトメス3世
古代エジプト第18王朝6代目のファラオ(在位:紀元前1479年頃 - 紀元前1425年頃)。
ネット情報では、
父王トトメス2世によって後継者に指名されていたが、幼くして父王が亡くなったため、継母ハトシェプストが即位、全権を掌握することになる。治世の前半は、ハトシェプストの補佐という形でしか政治を行えず、大半の時間を軍隊で過ごしたと伝わる。 この時期の経験から高い軍事的能力を身につけ、ハトシェプストの退位後となる治世の後半はハトシェプスト時代の外交を改めて周辺諸国に遠征し、国威を回復、エジプト史上最大の帝国を築いた。ことにメギドの戦いでの大勝で名高い。その積極的な外征と軍事的偉業から、「エジプトのナポレオン」と呼ばれることも多い。
実権を掌握してからはハトシェプストの存在を抹殺しており、ハトシェプストの名前や肖像を軒並み削り取った。
ツタンカーメンと王妃アンケセナーメンです。
石灰岩製のアメンホテプ4世像。
アメンホテプ4世は、在位期間紀元前1353年?から紀元前1336?年頃。(第18王朝)
アメンホテプ4世は、アマルナ改革を実行したことで、有名です。
多神教であった従来のエジプトの宗教を廃し、唯一神の阿点のみを祀る世界で、初めての一神教を始めました。
首都を、テーベからナイル川を277km ほど下ったアケトアテンに移転。
アマルナ美術と呼ばれる写実的・開放的な芸術を生み出した。
アメンホテプ4世と彼の家族がアテンを信仰している姿を描いています。
アメンホテプ4世の棺の蓋です。
テーベに、アメンホテプ4世の墓とされるものが、見つかっていますが、レリーフは、反対勢力によって、一切、削り取られています。彼のミイラと棺は、王家の谷のKV55 から発見されており、破壊を恐れて、移動されたと言われています。
棺も破壊されていましたが、修復されて、公開されています。
顔の部分も削られています。
ミイラの保存状態が悪く、白骨化しているので、非公開になっています。
DNA 鑑定で、ツタンカーメン王のミイラと比較して、アメンホテプ4世とほぼ間違いないと判定されています。
3400年も経って、DNA 鑑定で、親子関係を判定できるとは、すごいですね。
これも、アメンホテプ4世と彼の家族がアテンを信仰している姿を描いています。
この絵柄で、大きいもの、小さなもの色々ありました。
青い冠をかぶり、供物台を捧げ持つアメンホテプ4世
第18王朝、エル・アマルナ
石灰岩製のアメンホテプ4世の胸像
ネフェルトイティ王妃の頭部
アメンホテプ4世の愛妻、ネフェルトイティ王妃。
石灰岩製のアメンホテプ4世
エジプト旅行の写真の抜粋版です。
前編:http://terry658-2.blog.so-net.ne.jp/2017-03-31
後編:http://terry658-2.blog.so-net.ne.jp/2017-03-31-1
今日は、仲間内でのゴルフポイントランキング戦。
最高気温8度、最低気温3度の予報。降水確率は、20% と出ていました。
練習から、ぽつぽつ、降っていましたが、雨着を切るほどではありません。
午前中で、やむかと思いましたが、午後も、似たような感じ。
日が出ないので、寒さが身にしみます。
前回の練習ラウンドよりは、調子がよかったのですが、なんせ、ドライバーが、寒さのせいか、飛びません。結局、スコアは、練習ラウンドと同じ47+48=95 でした。
6人中、グロス3位、ネット4位でした。グロス80台が二名、後は95-98 のスコアでした。
ドライバーと5番ウッドが、もう少し、飛ぶようにしないといけませんね。
寒い中で、ゴルフをやっても、鼻風邪も、ぶり返しませんので、治ったようです。
来週は、猛烈な寒波到来のようです。
雪景色の撮影に行きたいと思っていますが、相方が、娘の手伝いに行くとき、冬タイヤに替えている私の車を借りるかもしれないと、予告。--困りましたね。
テリーの部屋 Part 1 はこちらです。http://terry658.blog.so-net.ne.jp/
ハトシェプスト女王の彫像です。
頭部だけですが、結構、大きいです。
これは、ハトシェプスト女王の葬祭殿第3テラスの柱廊を飾っていたと言われています。
ハトシェプスト女王のスフィンクス像
トトメス3世
古代エジプト第18王朝6代目のファラオ(在位:紀元前1479年頃 - 紀元前1425年頃)。
ネット情報では、
父王トトメス2世によって後継者に指名されていたが、幼くして父王が亡くなったため、継母ハトシェプストが即位、全権を掌握することになる。治世の前半は、ハトシェプストの補佐という形でしか政治を行えず、大半の時間を軍隊で過ごしたと伝わる。 この時期の経験から高い軍事的能力を身につけ、ハトシェプストの退位後となる治世の後半はハトシェプスト時代の外交を改めて周辺諸国に遠征し、国威を回復、エジプト史上最大の帝国を築いた。ことにメギドの戦いでの大勝で名高い。その積極的な外征と軍事的偉業から、「エジプトのナポレオン」と呼ばれることも多い。
実権を掌握してからはハトシェプストの存在を抹殺しており、ハトシェプストの名前や肖像を軒並み削り取った。
ツタンカーメンと王妃アンケセナーメンです。
石灰岩製のアメンホテプ4世像。
アメンホテプ4世は、在位期間紀元前1353年?から紀元前1336?年頃。(第18王朝)
アメンホテプ4世は、アマルナ改革を実行したことで、有名です。
多神教であった従来のエジプトの宗教を廃し、唯一神の阿点のみを祀る世界で、初めての一神教を始めました。
首都を、テーベからナイル川を277km ほど下ったアケトアテンに移転。
アマルナ美術と呼ばれる写実的・開放的な芸術を生み出した。
アメンホテプ4世と彼の家族がアテンを信仰している姿を描いています。
アメンホテプ4世の棺の蓋です。
テーベに、アメンホテプ4世の墓とされるものが、見つかっていますが、レリーフは、反対勢力によって、一切、削り取られています。彼のミイラと棺は、王家の谷のKV55 から発見されており、破壊を恐れて、移動されたと言われています。
棺も破壊されていましたが、修復されて、公開されています。
顔の部分も削られています。
ミイラの保存状態が悪く、白骨化しているので、非公開になっています。
DNA 鑑定で、ツタンカーメン王のミイラと比較して、アメンホテプ4世とほぼ間違いないと判定されています。
3400年も経って、DNA 鑑定で、親子関係を判定できるとは、すごいですね。
これも、アメンホテプ4世と彼の家族がアテンを信仰している姿を描いています。
この絵柄で、大きいもの、小さなもの色々ありました。
青い冠をかぶり、供物台を捧げ持つアメンホテプ4世
第18王朝、エル・アマルナ
石灰岩製のアメンホテプ4世の胸像
ネフェルトイティ王妃の頭部
アメンホテプ4世の愛妻、ネフェルトイティ王妃。
石灰岩製のアメンホテプ4世
エジプト旅行の写真の抜粋版です。
前編:http://terry658-2.blog.so-net.ne.jp/2017-03-31
後編:http://terry658-2.blog.so-net.ne.jp/2017-03-31-1
今日は、仲間内でのゴルフポイントランキング戦。
最高気温8度、最低気温3度の予報。降水確率は、20% と出ていました。
練習から、ぽつぽつ、降っていましたが、雨着を切るほどではありません。
午前中で、やむかと思いましたが、午後も、似たような感じ。
日が出ないので、寒さが身にしみます。
前回の練習ラウンドよりは、調子がよかったのですが、なんせ、ドライバーが、寒さのせいか、飛びません。結局、スコアは、練習ラウンドと同じ47+48=95 でした。
6人中、グロス3位、ネット4位でした。グロス80台が二名、後は95-98 のスコアでした。
ドライバーと5番ウッドが、もう少し、飛ぶようにしないといけませんね。
寒い中で、ゴルフをやっても、鼻風邪も、ぶり返しませんので、治ったようです。
来週は、猛烈な寒波到来のようです。
雪景色の撮影に行きたいと思っていますが、相方が、娘の手伝いに行くとき、冬タイヤに替えている私の車を借りるかもしれないと、予告。--困りましたね。
テリーの部屋 Part 1 はこちらです。http://terry658.blog.so-net.ne.jp/
日本ではあまり見られない彫像をどんな思いで造っていたんでしょう?
by 斗夢 (2018-01-21 06:22)
人が並ぶと、大きいですね(^_^;)
今度の寒波は1~2週間滞在して月曜日以降は寒そう。
by green_blue_sky (2018-01-21 07:41)
斗夢さん
彫像は、ファラオやスフィンクスが多いですね。
ファラオは、神、または、神に庇護される神以上の存在で、敬服すべき存在、スフィンクスは、葬祭殿や神殿を守るためのもの、日本の神社でいえば
狛犬なんでしょうね。
日本の神社などと、似ているところも、たくさんあると、思います。
green_blue_skyさん
ファラオに対して、畏敬の念を抱かせるために、大きなものにしているのでしょうね。
今季最大の寒波ですね。撮影に出かける、チャンスがあるかどうかですね。
by テリー (2018-01-21 10:07)
良いもの見せていただきました。エジプト人の造形力に感嘆します。それにしても権力の力を考えずにはいられません。
by JUNKO (2018-01-21 12:30)
本当に、エジプトはお宝だらけですね。
本物を見てみたいです!^^
結露、毎日の日課。
仕方ないけど・・・
やっぱりカビが生えて大変です。
二重窓が良いのよね〜
いつか出来るかな?^^:
by hatumi30331 (2018-01-21 14:00)
やっぱり、ミイラはいやですね~。土に還るという観念がなかったからでしょうか。
人工関節の件、ワタシのは特にひどかったので、脂汗をかくようなリハビリを続けても、70度以上は曲がりません。人によって違いがだいぶありますから、前向きにかんがえましょう。大丈夫ですよ。
by okko (2018-01-21 15:30)
JUNKOさん
権力に、嫌と言う人の気持ちはわかりますが、この時代、ラムセス2世のように、ファラオの力が強く、周りの国を征服していったから、エジプトの民は、周りの国に、奴隷にされずに
一応、それなりの生活ができたのでしょうね。
hatumi30331さん
エジプト旅行も、結構安くいけます。
二重窓の工事は、いろいろの業者が、やっていますね。
okko さん
ミイラは、また、再生するという宗教的な考えによるものですね。
永遠の生命、魂とか、輪廻の考えは、ほかの国でもありますね。
by テリー (2018-01-21 17:00)
女王の顔・・・みんないい顔してますね。
by 横 濱男 (2018-01-21 17:03)
たくさんの像に圧倒されますね !
by yakko (2018-01-21 17:30)
古代エジプトの美術は無限ですね~今はどうなったのかなあ?
by OJJ (2018-01-21 18:34)
エジプト王朝は壮大な時代ですねぇ
良くテレビで見ますがピラミッド、スフィンクスはこの目で見てみたいものです(^^)
by そら (2018-01-21 18:47)
スフィンクスも小さくなると結構可愛い顔してますね(^^)
実物はグーグルアースで見ました(^^)
by ma2ma2 (2018-01-21 19:51)
横 濱男さん
女王は、美人ですね。
yakkoさん
数千年のエジプト王朝の遺跡は、膨大ですね。
OJJさん
エジプト王朝は、プトレマイオス朝のクレオパトラで、滅亡し、ローマ帝国やオスマントルコなどに、支配をうけていましたね。
国がそういう状況では、美術、芸術は、無理でしょう。
そらさん
やはり、テレビなどで、見るより、実物をみると、感動を受けますね。
ma2ma2さん
スフィンクスもいろいろな場所にあり、大きさも様々ですね。
カルナック神殿とルクソール神殿を結ぶ参道には、無数のスフィンクスが、並んでいたそうで、いまでも、たくさん残っています。
by テリー (2018-01-21 21:36)
こんばんは。エジプトの世界なんですが本当に奥が深いですね。改めて勉強をさせて頂いています。男性と像がメッチャリンクしていまして似ているなと思いました。^^;
by ソニックマイヅル (2018-01-21 22:31)
ひとくちにエジプト4千年といいますけれど、これだけすごい王朝が続いたというのは人類のひとつの誇りでしょうか。
by 足立sunny (2018-01-21 23:38)
おはよう御座います。
爺も行きましたがもう大分忘れてます。
見覚えのあるのは懐かしさを感じます。
爺の時は王族のミイラ室があって何体も見られましたよ。
by 旅爺さん (2018-01-22 05:28)
彫像物はその大きさに圧倒されますね。
壁画の色は当時はきっと鮮やかだったことでしょう。
by kuwachan (2018-01-22 08:45)
テリーさん こんにちは
素晴らしいです。私の行った頃はカメラ持込禁止だったことから撮ることが出来ませんでした。感動した記憶だけが残っていますが、やはり展示物に関しては断片的な記憶になっています。羨ましいです。
http://makkurokurosk.blog.so-net.ne.jp/2010-03-03-3
by SORI (2018-01-22 13:07)
一枚目は二枚目の人が写って本当に大きいと
気付きました。
by 響 (2018-01-22 13:28)
ソニックマイヅル さん
数千の歴史のあるエジプトは、さすがに、見どころが、たくさんありますね。
写真の男性は、エジプト人のガイドさんで、それまでのガイドさんと変わりました。日本で、2年間、日本語を勉強したそうです。
彫像と似ているところがありますね。
足立sunnyさん
そうですね。4500年前に、王朝ができて、数千年間、続いたというのは、すごいですね。
旅爺さん
ミイラ室も見ました。
ただ、この部屋は、撮影禁止になっていましたので、撮影はしていません。
まあ、ミイラを撮影しても、気持ちが悪いだけですし、死者に、失礼ですよね。
kuwachanさん
おっしゃる通り、壁画は、作られた当時は、もっと、きれいだったでしょうね。
当時の色の壁画を見たいところですね。
もしかすると、探せば、その当時の色に復元した書物などが、出ているかもしれませんね。
by テリー (2018-01-22 13:48)
SORIさん
SORI さんが、いかれたときは、博物館での撮影は、禁止だったのですね。
今は、少しでも、観光収入をあげるために、フォットティケットを出しているのでしょう。
写真を撮影していると、思い出しますね。
響さん
こういう写真は、人間が入っているのも、彫像の大きさが、イメージできて、悪くはないですよね。
by テリー (2018-01-22 13:54)