5月の近くの公園の花 その3(5月11日撮影) [花]
5月の近くの公園の花 その2(5月11日撮影) [花]
5月の近くの公園の花(5月初旬) [花]
前回と同じタイトルです。前回は、iPhone X で、5月9日の撮影でしたが、今回は、2日後の5月11日にフルサイズ・ミラーレスα7RⅣ+FE24-240F3.5-6.3 OSS で撮影したものです。
ソニーのレンズは、FE24-105F4 OSS も、持っていますが、10倍ズームで、どれ位お花の撮影が出来るかの試しの写真撮影でもあります。
マクロレンズは、MC-11 を介して、Canon のレンズが、使えますので、持っていません。
鳥撮影の時のように、連写を使うときは、純正のレンズが、絶対有利と思いますが、お花の撮影のような場合は、連鎖撮影は普通しませんので、Canon のレンズで、良いと思います。
(1)ツツジ
(2)風が強く、花びらが、羽ばたいていますが、ぶれがない写真です。
(3)同じ花ですが、少し場所を変えての撮影。
ソニーのレンズは、FE24-105F4 OSS も、持っていますが、10倍ズームで、どれ位お花の撮影が出来るかの試しの写真撮影でもあります。
マクロレンズは、MC-11 を介して、Canon のレンズが、使えますので、持っていません。
鳥撮影の時のように、連写を使うときは、純正のレンズが、絶対有利と思いますが、お花の撮影のような場合は、連鎖撮影は普通しませんので、Canon のレンズで、良いと思います。
(1)ツツジ
(2)風が強く、花びらが、羽ばたいていますが、ぶれがない写真です。
(3)同じ花ですが、少し場所を変えての撮影。
5月の近くの公園の花(5月初旬) [花]
山陰旅行(2019年8月17日撮影)その7:松江城周辺散策 その6 [山陰旅行]
武家屋敷の次は、田部美術館です。ここで、集合して、夕方の同窓会を予定している玉造温泉松ノ湯に向かいます。
田部美術館のHPより、説明を引用します。
田部美術館は日本の茶の湯文化が盛んな松江の地に、田部家伝来の美術品の寄贈を受け、田部長右衛門朋之氏により設立され、1979年11月3日に開館しました。
江戸時代の松江藩7代藩主であり大名茶人の松平不昧公ゆかりの品々を含む茶道具や、楽山焼や布志名焼をはじめとする出雲地方の美術工芸品が主なコレクションであり、季節に合わせた茶道具の取り合わせや、出雲地方の美術工芸品を紹介展示しています。
創設者は“日本一の山林王”といわれた田部家の第23代当主田部長衛右門朋之氏です。氏は政治、経済および芸術を含む多くの分野において著名であり、島根県知事、
島根新聞社の社長を歴任、そして陶磁器、絵画の分野においても熟練した芸術家であり、「松露亭」の号をもっていました。 田部氏は、美術品は多くの人々に鑑賞されるべきだとの強い願望で、約600年に亘り田部家が収集した美術品を公開するために財団を設立いたしました。 この美術館は氏の遺志を継ぎ、美術品を社会に広く公開し、文化の振興に貢献することを目的として運営しています。
(1)
(2)美術館の建物についてもHP からの説明を引用します。
日本の代表的な建築家である菊竹清訓氏により設計されました。田部家が現在の雲南市吉田町で室町時代から営んでいた「たたら製鉄」のたたら場である「菅谷たたら」をイメージした屋根は製鉄に因んでコールテン鋼が使用されています。 当時の新しい建築技術や建築資材を使用しながらも伝統的な日本の茶室の趣を保持し、内部は優美さと落ち着きを感じさせ、外観は周囲の景観との調和美を兼ね備えたまさに芸術品です。
(3)
田部美術館のHPより、説明を引用します。
田部美術館は日本の茶の湯文化が盛んな松江の地に、田部家伝来の美術品の寄贈を受け、田部長右衛門朋之氏により設立され、1979年11月3日に開館しました。
江戸時代の松江藩7代藩主であり大名茶人の松平不昧公ゆかりの品々を含む茶道具や、楽山焼や布志名焼をはじめとする出雲地方の美術工芸品が主なコレクションであり、季節に合わせた茶道具の取り合わせや、出雲地方の美術工芸品を紹介展示しています。
創設者は“日本一の山林王”といわれた田部家の第23代当主田部長衛右門朋之氏です。氏は政治、経済および芸術を含む多くの分野において著名であり、島根県知事、
島根新聞社の社長を歴任、そして陶磁器、絵画の分野においても熟練した芸術家であり、「松露亭」の号をもっていました。 田部氏は、美術品は多くの人々に鑑賞されるべきだとの強い願望で、約600年に亘り田部家が収集した美術品を公開するために財団を設立いたしました。 この美術館は氏の遺志を継ぎ、美術品を社会に広く公開し、文化の振興に貢献することを目的として運営しています。
(1)
(2)美術館の建物についてもHP からの説明を引用します。
日本の代表的な建築家である菊竹清訓氏により設計されました。田部家が現在の雲南市吉田町で室町時代から営んでいた「たたら製鉄」のたたら場である「菅谷たたら」をイメージした屋根は製鉄に因んでコールテン鋼が使用されています。 当時の新しい建築技術や建築資材を使用しながらも伝統的な日本の茶室の趣を保持し、内部は優美さと落ち着きを感じさせ、外観は周囲の景観との調和美を兼ね備えたまさに芸術品です。
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山陰旅行(2019年8月17日撮影)その6:松江城周辺散策 その5 [山陰旅行]
小泉八雲旧居の次は、武家屋敷の見学です。
ネットの説明文を入れておきます。
松江城の北側堀沿いに、長屋門、塀が続き、松江でも最も城下町らしい面影を残す武家屋敷。
塩見縄手と呼ばれるこの地域は、江戸時代、中級武士(500~1,000石程度)の屋敷が建ち並んでいたところで、その中で唯一、当時のまま保存されているのがこの屋敷です。
松江藩の中級武士が屋敷替えによって入れ替わり住んだ所で、松江市の文化財に指定されています。
塩見縄手の名前の由来となったとされる塩見小兵衛(しおみこへえ)も住んでいました。
2018年8月にリニューアルオープンし、解体調査や資料調査により明らかとなった明治期の姿を復元しています。
(1)
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ネットの説明文を入れておきます。
松江城の北側堀沿いに、長屋門、塀が続き、松江でも最も城下町らしい面影を残す武家屋敷。
塩見縄手と呼ばれるこの地域は、江戸時代、中級武士(500~1,000石程度)の屋敷が建ち並んでいたところで、その中で唯一、当時のまま保存されているのがこの屋敷です。
松江藩の中級武士が屋敷替えによって入れ替わり住んだ所で、松江市の文化財に指定されています。
塩見縄手の名前の由来となったとされる塩見小兵衛(しおみこへえ)も住んでいました。
2018年8月にリニューアルオープンし、解体調査や資料調査により明らかとなった明治期の姿を復元しています。
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山陰旅行(2019年8月17日撮影)その5:松江城周辺散策 その4 [山陰旅行]
小泉八雲の旧居に向かっています。
旧居について、ネットの説明を、入れておきます。
小泉八雲旧居(こいずみやくもきゅうきょ)は、島根県松江市の塩見繩手にある歴史的建造物を使用した文学館。
小泉八雲が、旧士族根岸家の武家屋敷を借りて1891年(明治24年)5月から熊本に転任する11月までの6か月間住んだ邸宅である。八雲が居間として使用していた9畳の部屋からは三方に日本庭園を望むことができる。
八雲は当屋敷で「知られざる日本の面影」をはじめとする多くの原稿を書き上げた。「知られぬ日本の面影」第十六章「日本の庭」は当屋敷について書かれたものである。
建築概要
敷地面積 - 1003m2
建造物
母家 - 床面積158.36m2、平屋建
物置
土蔵
建築年代 - 江戸時代後期(推定)
所在地 - 〒690-0888 島根県松江市北堀町315外
備考 - 国の史跡(昭和15年8月30日指定)
(1)旧居の門です。
(2)こんなお花が咲いていました。
(3)こんなお花も。(サルスベリかな)
旧居について、ネットの説明を、入れておきます。
小泉八雲旧居(こいずみやくもきゅうきょ)は、島根県松江市の塩見繩手にある歴史的建造物を使用した文学館。
小泉八雲が、旧士族根岸家の武家屋敷を借りて1891年(明治24年)5月から熊本に転任する11月までの6か月間住んだ邸宅である。八雲が居間として使用していた9畳の部屋からは三方に日本庭園を望むことができる。
八雲は当屋敷で「知られざる日本の面影」をはじめとする多くの原稿を書き上げた。「知られぬ日本の面影」第十六章「日本の庭」は当屋敷について書かれたものである。
建築概要
敷地面積 - 1003m2
建造物
母家 - 床面積158.36m2、平屋建
物置
土蔵
建築年代 - 江戸時代後期(推定)
所在地 - 〒690-0888 島根県松江市北堀町315外
備考 - 国の史跡(昭和15年8月30日指定)
(1)旧居の門です。
(2)こんなお花が咲いていました。
(3)こんなお花も。(サルスベリかな)
山陰旅行(2019年8月17日撮影)その4:松江城周辺散策 その3 [山陰旅行]
5月に、八雲庵で、出雲蕎麦を食べ損ねましたので、今回は、しっかり、食べて、1時の集合場所に向かいます。
集合場所は、小泉八雲記念館前です。
ちなみに、小泉八雲を知らない人はいないと思いますが、念のために、ネットからの情報を入れておきます。
小泉 八雲(こいずみ やくも、1850年6月27日 - 1904年(明治37年)9月26日)は、ギリシャ生まれの新聞記者(探訪記者)、紀行文作家、随筆家、小説家、日本研究家、日本民俗学者。
出生名はパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)。
1896年(明治29年)に日本国籍を取得して「小泉八雲」と名乗る。「八雲」は、一時期島根県の松江市に在住していたことから、そこの旧国名(令制国)である出雲国にかかる枕詞の「八雲立つ」に因むとされる。
日本の怪談話を英語でまとめた『怪談』を出版した。母がキシラ島生まれのギリシャ人。
八雲は生涯を通じてアイルランドからフランス、アメリカ合衆国、西インド諸島、日本と浮草のように放浪を続けた。
(1)八雲庵です。
(2)
(3)小泉八雲の胸像です。
集合場所は、小泉八雲記念館前です。
ちなみに、小泉八雲を知らない人はいないと思いますが、念のために、ネットからの情報を入れておきます。
小泉 八雲(こいずみ やくも、1850年6月27日 - 1904年(明治37年)9月26日)は、ギリシャ生まれの新聞記者(探訪記者)、紀行文作家、随筆家、小説家、日本研究家、日本民俗学者。
出生名はパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)。
1896年(明治29年)に日本国籍を取得して「小泉八雲」と名乗る。「八雲」は、一時期島根県の松江市に在住していたことから、そこの旧国名(令制国)である出雲国にかかる枕詞の「八雲立つ」に因むとされる。
日本の怪談話を英語でまとめた『怪談』を出版した。母がキシラ島生まれのギリシャ人。
八雲は生涯を通じてアイルランドからフランス、アメリカ合衆国、西インド諸島、日本と浮草のように放浪を続けた。
(1)八雲庵です。
(2)
(3)小泉八雲の胸像です。