想い出のトルコ旅行記 第24回:パムッカレからイズミールへ向かう途中の皮製品店 [トルコ旅行]
想い出のトルコ旅行記 第23回:パムッカレその2 [トルコ旅行]
想い出のトルコ旅行記 第22回:アンタルヤからパムッカレへ [トルコ旅行]
想い出のトルコ旅行記 第20回:ペルゲ遺跡 [トルコ旅行]
トルコ旅行の6日目の3月16日、前回紹介したアスベンドス野外劇場の後、ペルゲの遺跡に行きました。(2010.03.12~2010.03.24 の旅行期間)
ペルゲは、3000年前のBC110世紀には、既に、集落があったそうです。トロイ戦争後に、移住してきたギリシアのドーリア人が最初の住人と言われています。BC333 年にアレキサンダー大王は、この地から、ペルシアを駆逐し、ペルゲを、ギリシアの文化に組み入れました。そして、BC 2 世紀には、ローマの支配下になり、行こう、植民地パンフィリアの中心都市として栄えました。
更に、原始キリスト教の面でも、この地は、重要な場所で、聖パブロが、パルナパを伴って、この地を訪れ、布教し、小アジア最古の原始キリスト教共同体を作ったと聖書に記されているそうです。
BC2世紀にローマによって作られた馬蹄形のスタディアムです。
剣闘士の戦いや競馬などが行われたそうです。12000人くらい収容できたそうです。
南の出入り口、ローマの門です。昔は、大理石で、覆われていたそうです。
このほかに、東と西の門があるそうです。この南門が表の門です。
ペルゲは、3000年前のBC110世紀には、既に、集落があったそうです。トロイ戦争後に、移住してきたギリシアのドーリア人が最初の住人と言われています。BC333 年にアレキサンダー大王は、この地から、ペルシアを駆逐し、ペルゲを、ギリシアの文化に組み入れました。そして、BC 2 世紀には、ローマの支配下になり、行こう、植民地パンフィリアの中心都市として栄えました。
更に、原始キリスト教の面でも、この地は、重要な場所で、聖パブロが、パルナパを伴って、この地を訪れ、布教し、小アジア最古の原始キリスト教共同体を作ったと聖書に記されているそうです。
BC2世紀にローマによって作られた馬蹄形のスタディアムです。
剣闘士の戦いや競馬などが行われたそうです。12000人くらい収容できたそうです。
南の出入り口、ローマの門です。昔は、大理石で、覆われていたそうです。
このほかに、東と西の門があるそうです。この南門が表の門です。
想い出のトルコ旅行記 第19回:アスベンドスの野外劇場 [トルコ旅行]
想い出のトルコ旅行記 第18回:コンヤからアスベンドス野外劇場へのバス移動(トロス山脈越え) [トルコ旅行]
想い出のトルコ旅行記 第17回:コンヤ観光(インジェ・ミナーレ神学校・メヴラーナ廟) [トルコ旅行]
想い出のトルコ旅行記 第16回:アクサライでの昼食とスルタンハヌへのバス移動 [トルコ旅行]
想い出のトルコ旅行記 第15回:トルコ絨毯工房と陶器工房 [トルコ旅行]
トルコ旅行4日目、3月15日の洞窟ホテルの2泊した朝です。暖房の調整をしてもらい、この夜は、快適で、ぐっすり眠ることが出来ました。
この朝は、すばらしい朝であるはずでしたが、なんと小雨が降っていました。
↑遠くがかすんで見えません。
まあ、この日は、コンヤまでの移動日で、途中、トルコ絨毯工房に寄るということで、カッパドキアの主な観光は、前日終わっていましたので、幸いでした。
ホテルをチェックアウトするとき、この猫ちゃんが、別れをおしむように、体をすり寄せてきました。
日本では、あまり、猫にすり寄られるという経験はないので、びっくりしました。
トルコでは、あちこちで猫を見かけましたが、すごく人なつっこいです。
この朝は、すばらしい朝であるはずでしたが、なんと小雨が降っていました。
↑遠くがかすんで見えません。
まあ、この日は、コンヤまでの移動日で、途中、トルコ絨毯工房に寄るということで、カッパドキアの主な観光は、前日終わっていましたので、幸いでした。
ホテルをチェックアウトするとき、この猫ちゃんが、別れをおしむように、体をすり寄せてきました。
日本では、あまり、猫にすり寄られるという経験はないので、びっくりしました。
トルコでは、あちこちで猫を見かけましたが、すごく人なつっこいです。