ロシア旅行記 No27 エカテリーナ宮殿 その2(2015年8月31日撮影) [ロシア旅行]
エカテリーナ宮殿の続きです。
エカテリーナ宮殿の中で、一番大きな部屋です。
ダンスの間、イベントの間です。
バロック様式、エリザヴェータ1世時代のもの。
ヴェルサイユ宮殿をイメージして、作られたそうです。
ヴェルサイユ宮殿より、輝いていると言われています。金泊は、4ミクロンの厚さのものが使用され、5年、あるいは、10年ごとに、貼り替えないといけない。
右は、現地ガイドのガリアさん。
天井画です。
パーティーの時は、700本くらいのロウソクが使われた。
鏡のサイズは、当時の技術では、大きなものは作られなかった。修復は、その当時のサイズで、再現されている。
キューピッドは、上に行くほど、大きなものになっている。
エリザヴェータは、フランスのルイ15世と結婚する予定でしたので、フランス語やダンスなどをよく勉強していた。しかし、ピョートル大帝とエカテリーナ1世が結婚する前の子供、すなわち、私生児だったということで、結婚は、破断となった。
エカテリーナ宮殿の原型の模型で、エリザヴェータ1世は、もっと、豪華なものにせよと指示をし、現在のものとなった。
宮殿の玄関。
ロココ調。
壁に有田焼、伊万里焼皿がが埋め込まれていたり、壺や皿が装飾品としておかれている。
宮殿で、生活始めて、100年後に作ったインテリアで、バロックより後のロココ調のインテリアになっている。
エリザヴェータ1世の人形。
エカテリーナ2世の戴冠式。
アレクサンドラ皇后(最後の皇帝ニコライ2世の皇后)
ドイツ人ですが、6才から12才まで、祖母ヴィクトリア女王に育てられた。
子供が生まれるが、血友病に冒されていたこともあって、ラスプーチンを招いて、神格化していった。第一次大戦が勃発し、ラスプーチンの予言で、ニコライ2世が戦地に赴き、彼女が内政を任された。反ラスプーチン派の大臣の首をすげかえて、混乱を招き、ラスプーチンは、暗殺され、ニコライ2世は、退位した。1918年7月18日、革命軍によって、夫、子供と一緒に、銃殺された。
ロシア最後の皇帝、ニコライ2世
HDR撮影(絵画風仕上げ)
被災したエカテリーナ宮殿の絵画
琥珀の間は、撮影禁止ですので、ネットにある写真を借用しました。
まだ、修復工事中です。
HDR撮影です。(絵画風仕上げ)
茶色の部分は、これから、金泊をつけて、黄色にするのでしょう。
一部、 金泊をつけてあるところも、あります。
茶色の部分は、これから、金泊をつけてゆくのでしょう。
金泊がつけられた姿も見たいですね。
そう思ってみると、まだまだこれから、相当かかりますね。
パノラマ写真です。
この日(8月31日)の軌跡です。
腕時計型のGPSログです。
ペテルゴフが、ピョートル大帝夏の宮殿です。
プーシキンスキーが、エカテリーナ宮殿の場所です。
そこから、右への線は、誤信号によるもの。
テリーの部屋 Part 1 はこちらです。http://terry658.blog.so-net.ne.jp/
エカテリーナ宮殿の中で、一番大きな部屋です。
ダンスの間、イベントの間です。
バロック様式、エリザヴェータ1世時代のもの。
ヴェルサイユ宮殿をイメージして、作られたそうです。
ヴェルサイユ宮殿より、輝いていると言われています。金泊は、4ミクロンの厚さのものが使用され、5年、あるいは、10年ごとに、貼り替えないといけない。
右は、現地ガイドのガリアさん。
天井画です。
パーティーの時は、700本くらいのロウソクが使われた。
鏡のサイズは、当時の技術では、大きなものは作られなかった。修復は、その当時のサイズで、再現されている。
キューピッドは、上に行くほど、大きなものになっている。
エリザヴェータは、フランスのルイ15世と結婚する予定でしたので、フランス語やダンスなどをよく勉強していた。しかし、ピョートル大帝とエカテリーナ1世が結婚する前の子供、すなわち、私生児だったということで、結婚は、破断となった。
エカテリーナ宮殿の原型の模型で、エリザヴェータ1世は、もっと、豪華なものにせよと指示をし、現在のものとなった。
宮殿の玄関。
ロココ調。
壁に有田焼、伊万里焼皿がが埋め込まれていたり、壺や皿が装飾品としておかれている。
宮殿で、生活始めて、100年後に作ったインテリアで、バロックより後のロココ調のインテリアになっている。
エリザヴェータ1世の人形。
エカテリーナ2世の戴冠式。
アレクサンドラ皇后(最後の皇帝ニコライ2世の皇后)
ドイツ人ですが、6才から12才まで、祖母ヴィクトリア女王に育てられた。
子供が生まれるが、血友病に冒されていたこともあって、ラスプーチンを招いて、神格化していった。第一次大戦が勃発し、ラスプーチンの予言で、ニコライ2世が戦地に赴き、彼女が内政を任された。反ラスプーチン派の大臣の首をすげかえて、混乱を招き、ラスプーチンは、暗殺され、ニコライ2世は、退位した。1918年7月18日、革命軍によって、夫、子供と一緒に、銃殺された。
ロシア最後の皇帝、ニコライ2世
HDR撮影(絵画風仕上げ)
被災したエカテリーナ宮殿の絵画
琥珀の間は、撮影禁止ですので、ネットにある写真を借用しました。
まだ、修復工事中です。
HDR撮影です。(絵画風仕上げ)
茶色の部分は、これから、金泊をつけて、黄色にするのでしょう。
一部、 金泊をつけてあるところも、あります。
茶色の部分は、これから、金泊をつけてゆくのでしょう。
金泊がつけられた姿も見たいですね。
そう思ってみると、まだまだこれから、相当かかりますね。
パノラマ写真です。
この日(8月31日)の軌跡です。
腕時計型のGPSログです。
ペテルゴフが、ピョートル大帝夏の宮殿です。
プーシキンスキーが、エカテリーナ宮殿の場所です。
そこから、右への線は、誤信号によるもの。
テリーの部屋 Part 1 はこちらです。http://terry658.blog.so-net.ne.jp/
すごい金の量ですね。
by Baldhead1010 (2016-01-07 04:27)
このような豪華なものを造るお金はどこから来たのか疑問です。
by 斗夢 (2016-01-07 06:38)
おはようございます。
実際に現場に立つと圧倒されるでしょうね。
by 京男 (2016-01-07 06:41)
あけましておめでとうございます。
見事な宮殿で圧倒されました。
遡って楽しませていただきます。
本年も宜しくお願いします。
by せつこ (2016-01-07 10:17)
まさに権力の象徴ですね
by くまら (2016-01-07 14:29)
Baldhead1010 さん
はい、すごい豪華な雰囲気ですね。
斗夢さん
ピョートル大帝が、農奴制を強化して、王朝の財政基盤を確立したと言われています。
財源は、農民の働きということです。
どうも、その当時は、農民は、奴隷に近い状態に、置かれていたようです。
しかし、ピョートル大帝を尊敬する人も、多いようです。
京男さん
やはり、すばらしいですね。
せつこさん
あけまして、おめでとうございます。
今年も、よろしく、お願いします。
by テリー (2016-01-07 14:33)
明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願い致します。
素晴らしい宮殿ですね。ロシア旅行もいいですね。
by sabuchan (2016-01-07 16:10)
黄金、金箔は気になりますね^^
by akanenosora (2016-01-07 16:44)
ちゃんとお金かけているから、こんなにキレイなですね^^
しかし、管理が大変そうです〜(^^;
by achami (2016-01-07 20:38)
sabuchan さん
今年もよろしく、お願いします。
ロシア旅行、なかなか、いいですよ。
akanenosora さん
黄金、金箔、手入れがいい感じで、輝きがすばらしい。
achami さん
綺麗にしておくのは、やはり、手入れをしないといけないのでしょうね。
金箔を、5年とか、10年で、貼り替えるのは、大変ですね。
by テリー (2016-01-07 21:50)
凄い建物ですね。今じゃもうこういう豪華な建物はできないでしょう。
建設費、当時のお金で一体どれ位掛かったのでしょうね。
by kuwachan (2016-01-07 22:23)
kuwachan さん
はい、すごい建物です。
建設費は、よくわかりません。
この宮殿は、第二次大戦中に、被災していますし、ナチスが、レニングラードを包囲しているときに、ナチスの軍隊が、入ってきて
美術品、琥珀の間を持ち去りました。
琥珀の間は、爆撃を受けて、破壊されましたが、11979年から2003年に復元されました。
建物の復元作業は、まだ、進行中です。
外観で、茶色の部分が所々見えますが、これが、金色になります。
by テリー (2016-01-07 23:32)
豪華やね!
凄いです!
日本とは違を文化がはっきり感じますね。
by hatumi30331 (2016-01-08 00:05)