トルコ旅行記 第2回:アンカラ観光(アタテュルク霊廟) [トルコ旅行]
3月13日、旅行2日目、アンカラ観光の後、昼食後、大塩湖トゥズを経由して、カッパドキアにバスで向かう予定。
まずは、アンカラ観光の一つ目は、アタテュルク霊廟です。
アタテュルクは、ムスタファ・ケマル・アタテュルク(Mustafa Kemal Atatürk, 1881年3月12日 - 1938年11月10日)は、トルコ革命の指導者、トルコ共和国の初代大統領(在任1923年10月29日 - 1938年11月10日)。
トルコ(オスマン帝国)は、第一次世界大戦で、ドイツの同盟国側で戦うが、イギリス・フランス、オースラトリア、ニュージーランドなど連合国側とのダーダネルス海峡での戦いやガリポラでの戦いで、このムスタファ・ケマルの活躍で、苦しい戦いを勝ち、1916年に准将に昇進する。この戦いで、双方約50万人の人が死んだそうです。この戦いの様子が、アタテュルク霊廟の博物館に再現されていました。残念ながら、撮影禁止でしたので、写真はありません。
1918年9月に開始された英連邦軍のメギットの戦いで、ケマルは、ザンデス元帥が指揮する電撃軍集団の第7軍司令官として戦うが、圧倒的な英連邦軍により、電撃軍集団は、第7軍以外は、壊滅的な被害を受け、敗戦となる。
第一次大戦後、トルコは、連合国によって、分割統治されるが、アナトリア各地で、反乱が起こり、オスマン帝国から派遣されたケマルが、この抵抗軍を指揮することになる。1920年3月16日に連合軍が、イスタンブールを占領すると、ケマルは、アンカラに新政府を作る。鎮圧に来たギリシア軍をサカリヤ川の戦いで破り、1922年9月に地中海沿岸のイズミルをギリシアから奪還する。1922年11月スルタン制を廃止。1923年総選挙を実施し、10月29日に共和制を宣言し、ケマルが初代大統領となった。
政敵を排除し、一党独裁の体制で、改革を推し進めた。
アラビア文字をラテン文字に変更、一夫多妻制の廃止も彼が行ったそうです。
日本では、彼の革命当時の呼び名であるケマル・パシャの名で言及されることも多い。
アタテュルク霊廟です。
衛兵は、動きません。ここで、記念撮影。
霊廟内は、撮影禁止だったり、OKだったり、良く変わるよう。この日は、OKでした。
霊廟の下は、博物館です。この中は、撮影禁止でした。
博物館から出ると、衛兵の交代でした。
霊廟の景戒が、先ほどより、厳重になって、あちこちに、衛兵が立っています。
広場に新兵らしい人たちが、整列しています。
女性も多いですね。
軍の偉い人が来て、挨拶をした模様。
この霊廟は、小高い丘にありますが、その付近からの眺めです。
アンカラ市内の人民広場にアタテュルクの写真と像が建っていました。
こういう像は、あちこちに、建っているようです。
動画も載せておきます。
霊廟の外観や衛兵の交代の様子は、動画の方がわかりやすいと、思います。
なお、ガイドさんの説明は、バスの中のものをいれました。
まずは、アンカラ観光の一つ目は、アタテュルク霊廟です。
アタテュルクは、ムスタファ・ケマル・アタテュルク(Mustafa Kemal Atatürk, 1881年3月12日 - 1938年11月10日)は、トルコ革命の指導者、トルコ共和国の初代大統領(在任1923年10月29日 - 1938年11月10日)。
トルコ(オスマン帝国)は、第一次世界大戦で、ドイツの同盟国側で戦うが、イギリス・フランス、オースラトリア、ニュージーランドなど連合国側とのダーダネルス海峡での戦いやガリポラでの戦いで、このムスタファ・ケマルの活躍で、苦しい戦いを勝ち、1916年に准将に昇進する。この戦いで、双方約50万人の人が死んだそうです。この戦いの様子が、アタテュルク霊廟の博物館に再現されていました。残念ながら、撮影禁止でしたので、写真はありません。
1918年9月に開始された英連邦軍のメギットの戦いで、ケマルは、ザンデス元帥が指揮する電撃軍集団の第7軍司令官として戦うが、圧倒的な英連邦軍により、電撃軍集団は、第7軍以外は、壊滅的な被害を受け、敗戦となる。
第一次大戦後、トルコは、連合国によって、分割統治されるが、アナトリア各地で、反乱が起こり、オスマン帝国から派遣されたケマルが、この抵抗軍を指揮することになる。1920年3月16日に連合軍が、イスタンブールを占領すると、ケマルは、アンカラに新政府を作る。鎮圧に来たギリシア軍をサカリヤ川の戦いで破り、1922年9月に地中海沿岸のイズミルをギリシアから奪還する。1922年11月スルタン制を廃止。1923年総選挙を実施し、10月29日に共和制を宣言し、ケマルが初代大統領となった。
政敵を排除し、一党独裁の体制で、改革を推し進めた。
アラビア文字をラテン文字に変更、一夫多妻制の廃止も彼が行ったそうです。
日本では、彼の革命当時の呼び名であるケマル・パシャの名で言及されることも多い。
アタテュルク霊廟です。
衛兵は、動きません。ここで、記念撮影。
霊廟内は、撮影禁止だったり、OKだったり、良く変わるよう。この日は、OKでした。
霊廟の下は、博物館です。この中は、撮影禁止でした。
博物館から出ると、衛兵の交代でした。
霊廟の景戒が、先ほどより、厳重になって、あちこちに、衛兵が立っています。
広場に新兵らしい人たちが、整列しています。
女性も多いですね。
軍の偉い人が来て、挨拶をした模様。
この霊廟は、小高い丘にありますが、その付近からの眺めです。
アンカラ市内の人民広場にアタテュルクの写真と像が建っていました。
こういう像は、あちこちに、建っているようです。
動画も載せておきます。
霊廟の外観や衛兵の交代の様子は、動画の方がわかりやすいと、思います。
なお、ガイドさんの説明は、バスの中のものをいれました。
すごい厳重ですね(^^;
女性の方もいるんだぁ~
by いとお (2010-04-01 10:53)
おぉーーーいつの間に
こんなに遠い所までd(⌒ー⌒)nice!!!
by emuzu (2010-04-01 11:08)
こんにちは^^
旗の色が赤ですが、全体的に色が少ない国ですね^^
建物の大きさは立派!
by mimimomo (2010-04-01 12:45)
人形かと思いました・・・^^;
軍隊に慣れてないもので。
by たいへー (2010-04-01 13:35)
撮影が良い日とダメな日は、何が違うんでしょうかねぇ〜?
by achami (2010-04-01 14:59)
トルコの隆盛と衰退、世界史の中でも重要な部分ですね。
by SilverMac (2010-04-01 15:35)
いとおさん
霊廟ですから、結構厳重な警備ですね。
emuzuさん
少し、遠いところまで、旅行をしてきました。
mimimomoさん
霊廟付近から見渡した街は、古い建物に所々、近代的な高層ビルが建っていますね。
人工は、370万人くらいです。イスタンブールに次いで、大きな街です。
たいへーさん
衛兵さんは、バッキンガム宮殿のが一番有名ですが、ここも、じっと動きません。ただ、10分か、20分くらいで、左右の場所を変えていました。
achami さん
やはり、晴で、空気が澄んでいるときは、きれいに撮れますね。なんと言っても、カメラの露出がうまく合うと言うことも必要ですね。
SilverMacさん
人類が出現して、文明が発生したときから、このトルコは、関わってきたわけですから、すごいですね。
by テリー (2010-04-01 17:08)
霊廟に衛兵が、ずいぶん厳重なんですね。
by mamii (2010-04-01 17:29)
全然、動かないのも、気持ちわるいですね。
by こうちゃん (2010-04-01 17:53)
治安が悪いんでしょうか?
厳重ですね。
by mitu (2010-04-01 19:25)
mamiiさん
まあ、建国の父が弔われている施設ですから。景戒をするのも必要ですね。
ちなみに、台北の蒋介石を祀っている中正記念堂も同じように衛兵がいますね。ここも、ある時間ごとに、衛兵交代があり、観光客の人気スポットになっています。
こうちゃん
そうですね。人形みたいって触る人もいるようです。
mituさん
こういう場所を鉄砲をもって、警戒するのは、どこの国でもありますね。潜在的にテロの危険性はヨーロッパの国は、どこでもあると思います。トルコは、今でも一党独裁ですが、このアタテュルク霊廟は、シンボル的な存在ですから、反対勢力から狙われる可能性もあるかもしれませんね。
トルコでは、ホテルに入るときも、空港並みのにX線での荷物検査があります。
by テリー (2010-04-02 10:03)
マネキンのようですね
イギリス等とは違い衛兵は観光的要素あまりないような感じですね
by koo (2010-04-02 10:08)
こんにちは^^
ヴァチカンの衛兵は恰好良かったです(^^)
スイス人がやっているそうですね〜
by いろは (2010-04-02 15:55)
衛兵さん、作り物かと思ってしまいました。
記念撮影が出来るんですね。
僕が衛兵だったら無意識にピースしてしまいそう。
by 響 (2010-04-02 19:14)
動かない衛兵・・・私には無理><;
by くまら (2010-04-02 19:20)
kooさん
そうかもしれませんね。やはりイスラム圏は、ちょっと違いますね。
いろはさん
昔は、スイスは、貧乏国で、傭兵になって出稼ぎに行きましたね。フランス革命の時、スイスの傭兵が最後まで戦って死んだのは有名ですね。
ヴァチカンでは、そういうスイスに敬意を表して、今でもスイス人を衛兵にしているそうです。
響さん
本当は、衛兵もピースサインをしたいと思います。でも、近くに怖いお目付役がいて、衛兵の態度、観光客の態度を見守っています。
くまらさん
この衛兵になれるのは、台北の中正記念堂もそうですが、新兵の中で、成績優秀で、背が高くて、美男子ということも条件のようです。少しの時間、じっとしておられない人は、失格ですね。
by テリー (2010-04-02 19:34)
台湾で衛兵を見ました。
真夏だったので、付き人のような人が
衛兵の汗をぬぐっていました。
交代の時にいつも歩いている部分だけが
やや、へこんでいたのに驚きました!
by sky (2010-04-02 20:17)
衛兵さんず~っと動かないで何かあった時に
直ぐ反応できるのでしょうかね^^
by hrd (2010-04-02 20:22)
衛兵さんず~っと動かないでおられるって、そうとう訓練されているのでしょうね。
撮影のできる日、できない日、なにを基準に決めるのかしら・・・!
by せつこ (2010-04-02 20:32)
此処は行って衛兵の交代も見てきました。
懐かしいです。此処からは寝台車でイスタンブールに行きました。
by 旅爺さん (2010-04-02 20:45)
skyさん
いつも歩いている所がへこんでいたとは、よく観察されましたね。私は、気がつきませんでした。
hrdさん
うーん、ちょっと無理でしょうね。でも、体が、大きいので、ちょっとやそっとでは、やられないと思います。
せつこさん
衛兵は、立っているときは、動かないように、訓練されてると思います。動かないと言っても10-20分で、場所を左右後退しますし、数時間で、勤務も交代です。
衛兵の傍で、記念撮影するのは、いつも、OKです。
霊廟の中の撮影は、基本的には、駄目になったそうですが、我々が行った時は、何も文句を言われませんでしたので、OKと判断したというのが実情です。
旅爺さん
アンカラから、イスタンブールまで、寝台車でしたか、大変ですね。我々は、逆のコースを飛行機で、1時間でした。
色々なツアーがあり、一長一短ですね。
by テリー (2010-04-02 22:40)
植物のなまえでカッパドキアってついてるものがあります
ここが原産地なのでしょうね。
by ANKO (2010-04-02 23:42)
いつまでも何かを待ってるだけで未来は変わらんだろjk。今のままの人生に満足してるのか?
ちょっとは行動してみる気、ある?
QOL(Quality of Life)上げたいなら試してみれば
http://vtcxun6.nippon.charitie.info/vtcxun6/
by MATO (2011-04-02 06:11)