No13 南米旅行- クスコ観光、更に、オリャンタイタンボへ、バス移動(3月1日撮影) [南米旅行]
12角の石やインカ時代の精巧な石積みを見た後、アルマス広場に戻ってきました。
アルマス広場は、大きな広場・公園です。
ここで、ゆっくりしていたら、警官が、やってきて、公園にいる人に、出て行くように指示しているようです。
現地ガイドのアシスタント(ペルー人)に聞いてもらったら、どうも、デモ隊が来るようなので、この場所を封鎖するとのことです。
市役所です。
やむなく、そこを、離れて、バスが、近づける場所まで、移動しないといけませんが、なかなか、バスと連絡できません。
しばらくして、連絡が出来、待ち合わせ場所を決めて、移動です。
市役所だったと思います。
バスとの待ち合わせ場所です。
2階建ての観光バスもありました。
上は、オープンで、いいですね。
我々のバスがやっと、到着して、乗り込み、出発です。
到着したのが、サクサイワマン城跡です。
インカ帝国の第9代皇帝パチャクティの命によって、1438年以降に、建設が開始され、約50年後の第11代皇帝ワイナ・カパック皇帝の在位中に完成したそうです。フランシスコ・ピサロをはじめとするスペイン人による征服で、首都が陥落した後の1536年に行われたクスコ争奪戦では、マンコ・インカ・ユパンキが率いるインカ軍の拠点となった。
ペルーの南東部に位置するインカ帝国の古都クスコ市の北にある。
クスコ市は、動物のピューマをかたどって、建設されたという説があり、その説に従うと、サクサイワマンは、ピューマの頭に相当する。
インカ文明特有の堅固な石組が、階段状に3段筒、幅数百メートルの平地を挟んだ南北の丘に築かれている。インカの天上、地上、地下の3つを意識した世界観に基づいたものと言われている。
かつては、東西に並ぶ3つの巨大な塔が建っていたとが、スペイン人に破壊され、その基礎のみが残っている。
なお、サクサイワマンは、ケチュア語で、満腹のハヤブサを意味する。
スペイン人が残した手記では、このサクサイワマンの城は、ヨーロッパのどの城よりも、巨大だったと記されているそうです。
大きな石になると360トンもあるそうです。
インカ遺跡の中で、一番の大きな石が使われている。
残念ながら、この遺跡は、離れたところから、見ただけで、中を歩く時間はありませんでした。
上まで上がると、クスコ市が、一望できるようです。
ここにいた鳥です。
バスで、オリャンタイタンボ駅へ、向かいます。
途中、真っ黒な雲が、やってきましたので、雨が降るかと思われましたが、それは、ありませんでした。
黒い雲が通過すると、青空がでました。
山の斜面に、規則的に横に線が見えます。
どうも、段々畑のようです。
昔のインカの小道だそうです。
バスが暫く停車してくれました。
オリャンタイタンボ駅の近くです。
オリャンタイタンボ駅に到着。
車掌さんのようです。
動画は、こちらです。
https://youtu.be/QVa23pMDML8
今日は、孫娘のピアノ発表会というので、相方と一緒に、つくばまで、出かけてきました。
昨年、娘が、孫娘に、ピアノを習わせたいので、家にあるピアノを持って行って、いいかと聞かれ、前住んでいた部屋においてあったピアノを運んで、調律し直し、ピアノの先生について、少しづつ、覚えていったもの。
子供が、覚えるのは、早いですね。
テリーの部屋 Part 1 はこちらです。http://terry658.blog.so-net.ne.jp/
アルマス広場は、大きな広場・公園です。
ここで、ゆっくりしていたら、警官が、やってきて、公園にいる人に、出て行くように指示しているようです。
現地ガイドのアシスタント(ペルー人)に聞いてもらったら、どうも、デモ隊が来るようなので、この場所を封鎖するとのことです。
市役所です。
やむなく、そこを、離れて、バスが、近づける場所まで、移動しないといけませんが、なかなか、バスと連絡できません。
しばらくして、連絡が出来、待ち合わせ場所を決めて、移動です。
市役所だったと思います。
バスとの待ち合わせ場所です。
2階建ての観光バスもありました。
上は、オープンで、いいですね。
我々のバスがやっと、到着して、乗り込み、出発です。
到着したのが、サクサイワマン城跡です。
インカ帝国の第9代皇帝パチャクティの命によって、1438年以降に、建設が開始され、約50年後の第11代皇帝ワイナ・カパック皇帝の在位中に完成したそうです。フランシスコ・ピサロをはじめとするスペイン人による征服で、首都が陥落した後の1536年に行われたクスコ争奪戦では、マンコ・インカ・ユパンキが率いるインカ軍の拠点となった。
ペルーの南東部に位置するインカ帝国の古都クスコ市の北にある。
クスコ市は、動物のピューマをかたどって、建設されたという説があり、その説に従うと、サクサイワマンは、ピューマの頭に相当する。
インカ文明特有の堅固な石組が、階段状に3段筒、幅数百メートルの平地を挟んだ南北の丘に築かれている。インカの天上、地上、地下の3つを意識した世界観に基づいたものと言われている。
かつては、東西に並ぶ3つの巨大な塔が建っていたとが、スペイン人に破壊され、その基礎のみが残っている。
なお、サクサイワマンは、ケチュア語で、満腹のハヤブサを意味する。
スペイン人が残した手記では、このサクサイワマンの城は、ヨーロッパのどの城よりも、巨大だったと記されているそうです。
大きな石になると360トンもあるそうです。
インカ遺跡の中で、一番の大きな石が使われている。
残念ながら、この遺跡は、離れたところから、見ただけで、中を歩く時間はありませんでした。
上まで上がると、クスコ市が、一望できるようです。
ここにいた鳥です。
バスで、オリャンタイタンボ駅へ、向かいます。
途中、真っ黒な雲が、やってきましたので、雨が降るかと思われましたが、それは、ありませんでした。
黒い雲が通過すると、青空がでました。
山の斜面に、規則的に横に線が見えます。
どうも、段々畑のようです。
昔のインカの小道だそうです。
バスが暫く停車してくれました。
オリャンタイタンボ駅の近くです。
オリャンタイタンボ駅に到着。
車掌さんのようです。
動画は、こちらです。
https://youtu.be/QVa23pMDML8
今日は、孫娘のピアノ発表会というので、相方と一緒に、つくばまで、出かけてきました。
昨年、娘が、孫娘に、ピアノを習わせたいので、家にあるピアノを持って行って、いいかと聞かれ、前住んでいた部屋においてあったピアノを運んで、調律し直し、ピアノの先生について、少しづつ、覚えていったもの。
子供が、覚えるのは、早いですね。
テリーの部屋 Part 1 はこちらです。http://terry658.blog.so-net.ne.jp/
おはようございます。
やはり、文化の違いを感じますね。
by aru (2016-04-25 03:25)
おはようございます。
すごいところに畑を作ったのですね。
スペインはひどいことを他の国にしたものです。
日本がやられなくてよかった。
by 京男 (2016-04-25 05:10)
おはようございます^^
この雀のような鳥、わたくしも写したような気がしますよ^^
オリャンタイタンボの駅からわたくしたちはインカトレイルのトレッキングに出発したのでした。駅近くの細道もやはり写しています^^v
by mimimomo (2016-04-25 07:03)
懐かしいです。
高山病の頭痛とバス酔いで大変でしたが
景色に慰められました。
辛かったですが、写真を見ると
また行きたくなりました。
辛いことは、忘れちゃうんですね~(^^)
by nousagi (2016-04-25 10:08)
aru さん
クスコは、スペイン人が、勝手に作り直した街ですが、ヨーロッパの街の
優雅さはないですね。
インカの石組の技術には、驚嘆するばかりです。
京男さん
日本は、他国の植民地にされなくてよかったですが、これからも、他国から侵略されないようにしないといけないでしょうね。
インカ帝国が結局、侵略されて、消滅したのは、皇帝の跡目争いで、国がまとまっていなかったというのも、大きいですね。
mimimomoさん
オリャンタイタンボから、歩かれたのですか。
すごいですね。
オリャンタイタンボから列車で、少し行った場所からのインカ道のトレッキングについては、現地ガイドさんが紹介していましたし、
帰りの列車から、トレッキングしているグループを見かけました。
nousagiさん
つらいことは忘れて、楽しいことばかり残り、また、行きたくなりますね。
やはり、ここは、素晴らしい景色ですね。
by テリー (2016-04-25 12:18)
あれだけ大きな石を運んだ事だけでも奇跡なのに、遺跡がこうして残されていること、世界創成の歴史を染々と感じますね
by viviane (2016-04-25 13:10)
結局スペインは収奪しただけで、残したのは教会くらいですか。
教会はさすがに素晴らしい出来映えですね。
by ナツパパ (2016-04-25 16:49)
この鳥はペルーでよく見かけますね。
標準和名は知りませんが、Rufous-Collared Sparrow の様です。
私はペルースズメと呼んでいた様な...^^
by まっちゃん (2016-04-25 17:06)
vivianeさん
360トンもの石を運ぶのは大変だったでしょうね。
墓される前の城を見たかったですね。
ナツパパさん
インカ文明のほとんどがなくなってしまったわけです。
インカ帝国の首都の大きな建物を壊してその上に、教会や行政府を作りました。
言葉は、スペイン語になり、宗教もキリスト教になり、スペイン人との混血が主流をなしているようです。
生活は、かなり、悲惨な感じです。
まっちゃんさん
ペルーのスズメと言われると、そうかもしれませんね。
by テリー (2016-04-25 21:42)
市役所の入り口は不気味やね。
by koto (2016-04-26 01:12)
お早うございます。
サクサイワマン城跡の巨大な石組を目の当たりにしたら圧倒されるでしょうね〜 スペイン人の征服で破壊されたんですか、歴史は過酷ですね !
by yakko (2016-04-26 08:47)
しばし写真ながめてボヤーンとさせてもらいました^^
by リュカ (2016-04-26 09:40)
koto さん
壁に飾ってある金色の丸いものは、恐らく、インカ時代の皇帝か神官が使っていた物をコピーした物でしょうが、
権威付けだったのでしょうね。
不気味と感じるのは、自然かもしれません。
yakkoさん
サクアイワマンの城跡は、少し、離れた場所からの外観の見物でしたので、本当は、もっと、城跡を歩いて見物すると
面白かったのでしょうね。
それには、13日間では、不足かもしれませんね。
ペルーは、治安が悪いですから、個人旅行も不向きですし、ーー。
リュカさん
ナイス&コメントありがとうございます。
by テリー (2016-04-26 09:59)
ナイスが押せません~~~。
バス停付近の建物の色合いが、ハバナに似ています。それにしても、当時のスペインの勢力の強さには驚きますね。ポルトガルとスペイン、日本は植民地にならないでよかった、つくづく思います。
by okko (2016-04-26 15:25)
okko さん
極東の小さな国であった日本が、ポルトガルやスペインなどの植民地にならなかったのは、奇跡的かもしれないし、その時
国を治めていた人の的確な判断もあったのでしょうね。
本当に、良かったですね。
by テリー (2016-04-26 22:38)
歴史を感じるね。^^
建物、スゴい!
by hatumi30331 (2016-04-26 23:17)