No12 南米旅行―クスコ観光(3月1日撮影) [南米旅行]
リマから飛行機で、1時間半、10:50 頃、クスコに、予定通り到着。
クスコでは、現地ガイドさん(日本人)とガイドアシスト(現地人)の人が、加わりました。
クスコは、インカ時代首都があったところで、インカの中心だった都市です。
そして、標高3400m の高さにありますので、5-6時間、ここに、滞在すると、高山病になる可能性があります。
私が、はいったツアーでは、クスコは、市内観光の後、バスと列車で、標高2400m位のマチュピチュに向かいます。
ツアーによっては、クスコで1泊し、ホテルは、酸素供給装置付きというのも、ありました。
まあ、富士山より、少し、低い高度ですから、高山病を起こす人の割合は、そんなに、高くないかもしれません。
空港近くにこんな彫像がありました。
街並みです。
道路の真ん中に、こんな大きな像が立っています。
インカ帝国9代目のパチャクテク(在位1438年-1471年)の像です。
クスコ王国を4つの邦(スウユ)に再編し、彼の在世中に、小さな村にすぎなかったクスコ王国をチムー王国と競って、最終的には、取って代わる帝国に発展させました。
実在の皇帝と言われています。
バスで、約15分、太陽の神殿に到着。
太陽神殿は、インカ帝国時代に、各地に建立された太陽信仰を司る宮殿で、クスコにも建てられた。当時、黄金の板で、装飾され、神像を初め、数多くの黄金製品が、収められていたが、スペイン人の征服で、ほとんどが、破壊・略奪されて、残っていません。
太陽神殿の跡に建てられたサント・ドミンゴ修道院の土台の一部に、太陽神殿の壁が利用されています。
この黒い壁が、太陽神殿の一部です。
石積みは、すごいですね。
さらに、バスで、10分移動して、アルマス広場に到着。
アルマス広場は、クスコの中心部にあり、歴代の王様のたちの豪華絢爛な宮殿や立派な公共の建物が並んでいたそうです。クスコを征服したスペイン人は、インカ時代、ワカイパタとウカイパタという名前であった2つの広場を1つにして、アルマス広場と名付けました。
アルマスは、武器という意味で、スペイン人の兵士がもっていた武器から、そう名付けられました。
インカ時代の建物の上に、建てていますので、その部分が高くなっています。
クスコのシンボル的な建物になっているカテドラル。
1550年から建設が始まり、完成に100年かかった。
祭壇に、ポトシの銀300 トンを使用している。
左側の小さな教会が、ヘスス・マリア教会、右側がエル・トリウンフォ教会1536年完成、クスコで最初の教会)
ラ・メルセー教会・修道院
1534年に建てられたが、地震で、倒壊。
17世紀に再建された。
地元の人たちが、伝統的な楽器で、演奏しています。
インカ時代の石積みです。
カミソリの刃も入らないほど、きっちり、積まれています。
スペイン人が、征服してから、積まれた石積みです。
凄い差がありますね。
これは、インカ時代の石積み。
これは、14角の石。
12角の石より、小さいが、精巧。
現地ガイドさんの話では、比較的最近作られた物という説明がありました。
ネット情報では、インカの時代、あるいは、スペイン人が作ったという話もあるが、よくわからないという。
大きな石には、突起が2カ所でている物もあります。
持つためということだそうです。
これが、有名な12角の石。
インカ時代の石積みの技術が、いかに、すばらしかったかを示しています。
現地の子供2人が、かわいらしい衣装で、写真モデルのバイトをしていましたので、撮影してあげました。
3枚撮影で、一人、1ドルです。
アルマス広場に、戻ってきました。
アルマス広場の中央には、噴水があり、金色のインカ皇帝パチャクティの像があります。
クスコ観光の動画は、こちらです。
https://youtu.be/YRqaON95i_0
インカ文明を破壊しつくしたスペイン人。
インカの末裔のほとんどは、貧乏な暮らしを余儀なくされています。
きっと、観光以外の産業は、あまり、ないのでしょうね。
日本が、戦国時代の末期、徳川時代の末期、明治の初めなど、欧米の植民地にならなかったのは、すごく、ラッキーでしたね。
本当は、ラッキーでなく、その時代に、的確に判断して対応した人がいたのでしょうね。
本日は、月2回の恒例ポイントランキング戦。
冬場は、調子を落としていて、旅行のための欠席もあり、ランキングは、冬リーグは、5位、年間リーグは、更に下位と低迷しています。前回から少し上向きでしたので、思い切って、軽量シニアドライバーを購入したところ、少し、飛距離も伸び、隠しホールに恵まれて、今回は、ネット3位、グロス1位でした。
ゴルフの神様が、もう少し、頑張れと応援してくれた感じです。
確かに、クラブはよくなっていますね。前のドライバーは、10年近く使っていますので、丁度替え時かもしれません。
気心のしれた人たちとのゴルフは、また、楽しいですね。
ただ、土曜日のメンバーが減り、平日の練習会の方が、人数が、沢山集まるようになったのは、仕事を持たない人が増えたと言うことかな。
テリーの部屋 Part 1 はこちらです。http://terry658.blog.so-net.ne.jp/
クスコでは、現地ガイドさん(日本人)とガイドアシスト(現地人)の人が、加わりました。
クスコは、インカ時代首都があったところで、インカの中心だった都市です。
そして、標高3400m の高さにありますので、5-6時間、ここに、滞在すると、高山病になる可能性があります。
私が、はいったツアーでは、クスコは、市内観光の後、バスと列車で、標高2400m位のマチュピチュに向かいます。
ツアーによっては、クスコで1泊し、ホテルは、酸素供給装置付きというのも、ありました。
まあ、富士山より、少し、低い高度ですから、高山病を起こす人の割合は、そんなに、高くないかもしれません。
空港近くにこんな彫像がありました。
街並みです。
道路の真ん中に、こんな大きな像が立っています。
インカ帝国9代目のパチャクテク(在位1438年-1471年)の像です。
クスコ王国を4つの邦(スウユ)に再編し、彼の在世中に、小さな村にすぎなかったクスコ王国をチムー王国と競って、最終的には、取って代わる帝国に発展させました。
実在の皇帝と言われています。
バスで、約15分、太陽の神殿に到着。
太陽神殿は、インカ帝国時代に、各地に建立された太陽信仰を司る宮殿で、クスコにも建てられた。当時、黄金の板で、装飾され、神像を初め、数多くの黄金製品が、収められていたが、スペイン人の征服で、ほとんどが、破壊・略奪されて、残っていません。
太陽神殿の跡に建てられたサント・ドミンゴ修道院の土台の一部に、太陽神殿の壁が利用されています。
この黒い壁が、太陽神殿の一部です。
石積みは、すごいですね。
さらに、バスで、10分移動して、アルマス広場に到着。
アルマス広場は、クスコの中心部にあり、歴代の王様のたちの豪華絢爛な宮殿や立派な公共の建物が並んでいたそうです。クスコを征服したスペイン人は、インカ時代、ワカイパタとウカイパタという名前であった2つの広場を1つにして、アルマス広場と名付けました。
アルマスは、武器という意味で、スペイン人の兵士がもっていた武器から、そう名付けられました。
インカ時代の建物の上に、建てていますので、その部分が高くなっています。
クスコのシンボル的な建物になっているカテドラル。
1550年から建設が始まり、完成に100年かかった。
祭壇に、ポトシの銀300 トンを使用している。
左側の小さな教会が、ヘスス・マリア教会、右側がエル・トリウンフォ教会1536年完成、クスコで最初の教会)
ラ・メルセー教会・修道院
1534年に建てられたが、地震で、倒壊。
17世紀に再建された。
地元の人たちが、伝統的な楽器で、演奏しています。
インカ時代の石積みです。
カミソリの刃も入らないほど、きっちり、積まれています。
スペイン人が、征服してから、積まれた石積みです。
凄い差がありますね。
これは、インカ時代の石積み。
これは、14角の石。
12角の石より、小さいが、精巧。
現地ガイドさんの話では、比較的最近作られた物という説明がありました。
ネット情報では、インカの時代、あるいは、スペイン人が作ったという話もあるが、よくわからないという。
大きな石には、突起が2カ所でている物もあります。
持つためということだそうです。
これが、有名な12角の石。
インカ時代の石積みの技術が、いかに、すばらしかったかを示しています。
現地の子供2人が、かわいらしい衣装で、写真モデルのバイトをしていましたので、撮影してあげました。
3枚撮影で、一人、1ドルです。
アルマス広場に、戻ってきました。
アルマス広場の中央には、噴水があり、金色のインカ皇帝パチャクティの像があります。
クスコ観光の動画は、こちらです。
https://youtu.be/YRqaON95i_0
インカ文明を破壊しつくしたスペイン人。
インカの末裔のほとんどは、貧乏な暮らしを余儀なくされています。
きっと、観光以外の産業は、あまり、ないのでしょうね。
日本が、戦国時代の末期、徳川時代の末期、明治の初めなど、欧米の植民地にならなかったのは、すごく、ラッキーでしたね。
本当は、ラッキーでなく、その時代に、的確に判断して対応した人がいたのでしょうね。
本日は、月2回の恒例ポイントランキング戦。
冬場は、調子を落としていて、旅行のための欠席もあり、ランキングは、冬リーグは、5位、年間リーグは、更に下位と低迷しています。前回から少し上向きでしたので、思い切って、軽量シニアドライバーを購入したところ、少し、飛距離も伸び、隠しホールに恵まれて、今回は、ネット3位、グロス1位でした。
ゴルフの神様が、もう少し、頑張れと応援してくれた感じです。
確かに、クラブはよくなっていますね。前のドライバーは、10年近く使っていますので、丁度替え時かもしれません。
気心のしれた人たちとのゴルフは、また、楽しいですね。
ただ、土曜日のメンバーが減り、平日の練習会の方が、人数が、沢山集まるようになったのは、仕事を持たない人が増えたと言うことかな。
テリーの部屋 Part 1 はこちらです。http://terry658.blog.so-net.ne.jp/
クスコの町は爺も行ったので懐かしいです。
この町で1泊して次の日は4500mの高地をバスでチチカカ湖に向かいました。
by 旅爺さん (2016-04-23 19:33)
おはようございます。
石組みの差がすごい。
これは実際行ってみたいです。これを見るだけでもいいと思います。
スペイン、酷いことを過去にしたものです。
日本は、ラッキーだったと思います。
アメリカのいいようになってはいますが。
by 京男 (2016-04-24 07:51)
インカ時代の建物で見てみたかったですね。
by たいへー (2016-04-24 12:40)
高地旅行は高齢者の方が向いていると、チベットで言われました。理由はゆっくりと行動してくれるから。おかげで5400メートル近くまで、何ごともなく行くことが出来ました。
あれこれ忙しくて、パソコンを立ち上げない日が続いてしまいました。コメントが遅れてすみません。
by okko (2016-04-24 14:13)
良いところを見てきましたね(^^♪
行きたかったわ!
遡って楽しませていただきます。
by せつこ (2016-04-24 21:53)
旅爺さん
いいですね。
チチカカ湖にも、行ってみたいですね。
京男さん
石組の差は、大きいですね。
インカ遺跡のすごさを見て、感じるのも、おもしろいと思います。
これだけ、すごい技術をもった文明を破壊しつくしたスペイン人たちの非道さに、憤りを感じますね。
ただ、ポルトガル、オランダ、イギリス、フランスなども植民地を求めて、力の弱い所、探し回っていたわけです。
日本は、植民化されなくて、ラッキーでした。
>アメリカのいいようになってはいますが。
確かにその通りですが、第二次大戦後、自分の身を守るすべのない日本をソ連や中国から守ってくれたのは、アメリカですから。
アメリカに頼らず、自分で、守れるだけの軍備を準備すれば、いいのですが、中々、それも、難しいですね。
たいへーさん
クスコに、インカの建物が、残っていれば、大変な遺産になっていたでしょうね。
okko さん
5400mまで行かれましたか、すごいですね。
私は、最高は、ハワイ、マウナケアの4200m です。
4200mでも、早く歩こうとすると、息切れがしたのを覚えています。
高齢者の方が、行動がゆっくりになるので、丁度いいのかもしれませんね。
by テリー (2016-04-24 22:43)
せつこさん
素敵なコメントありがとうございます。
楽しんでいただければ、幸いです。
by テリー (2016-04-24 22:45)
>本当は、ラッキーでなく、その時代に、的確に判断して対応した人がいたのでしょうね。
まさにその通りだと思います^^
インカ展などを観に行くと、聖母マリア様が目だったか口からビームを出して
人々を殺してる作品もありました。
彼らにしてみればそのように見えたでしょうね。
by リュカ (2016-04-26 09:39)