トルコ旅行記 第33回トロイ遺跡 [トルコ旅行]
トロイ遺跡は、是非みたい遺跡であった。学生時代、ドイツ語の教科書で、シュリーマンの古代への情熱というのがあって、すごく、感動して読んだ記憶があります。
小さな頃の夢、トロイの遺跡は、伝説ではなく、実在しているということを信じて、商人として成功した後、私財を使って、発掘し、見事に、トロイ遺跡を発見する。
小さい頃の夢を実現したいと思う人は、沢山いるでしょうが、なかなか、実現できないのが世の常です。そういう中で、成功したのは、すごいと思っていました。
実際の遺跡を見ると、他のトルコの遺跡に比べるとすごく、地味なものです。
まず、トロイ文明は、9市に分かれるそうです。
第1市:BC3000-2600, 初期青銅器時代、小麦やオリーブを生産する農村集落、織物なども盛んに造られた。家裁により消失。
第2市:BC2600-2300、大変に繁栄した初期の都市で、ロクロを使った登記製品や金・銅製品など、高い文明であった。侵略者によって破壊された。シュリーマンが発掘したのもこの第2市と言われている。
第3・4・5市:BC2300-1900、衰退期、見るべき遺跡は残っていない。
第6市:BC1900-1300、トロイの最盛期、堅固で、見事な防衛システムを備えた城壁などを見ることができる。大地震で崩壊した。
第7-a市:BC1300-1200、トロイ戦争が起こった時期
第7-b市:BC1200-900、フリギアの植民地であった時期
第8市:BC900-350、ギリシア人が新しい町を開き、イリオンと名付ける。
第9市:BC350-AD400、BC344 にやってきたアレキサンダー大王がアテナ神殿の建設を命じた。ローマ皇帝もこの地を訪れた。
トロイは、ダーダネルス海峡近くにあり、海路、陸路の交通の要所にあり、昔から、経済的に潤っていたそうです。トロイ戦争は、トロイの王子パリスが、スパルタの后ヘレンを奪ったために発生したと言われていますが、裕福なトロイの財宝を貧しいギリシアの都市国家が狙ったものとも言われています。
ダーダネルス海峡は、第一次大戦で、トルコが、イギリス、インド、オーストラリア、ニュージーランドの海軍を相手に戦い、打ち破ったことで、有名。この海峡で、50万人が戦死し、内トルコは26万人以上戦死したそうです。トルコの死者の多くは14-15歳の若者だったそうです。
交通の要所は、昔から戦争の場所になったのもやむを得ないことかもしれません。
これが、トロイの木馬です。
トロイ戦争の時に、トロイを攻めあぐねたギリシア軍が、トロイの木馬に兵士50人を密かに忍ばせて、トロイ城の前に置いて、退却したと見せかけて、船を出発させて、島影に隠れて、夜を待ち、トロイの人たちが、勝利の酒で、酔いつぶれるのを待って、木馬から兵士が出て、城門をあけて、ギリシア軍を引き入れトロイの城を落としたとされていますが、これにも、別の説があります。トロイの城壁は、地震で、崩れて、そこから、ギリシア軍が侵入して、トロイを打ち破ったもので、木馬は、その後、海の神ポセイドンに捧げたというものです。
話としては、前者の方が面白いですね。トロイ遺跡の前に木馬が飾ってあります。
木馬が、すごく、新しいのですが、一応、ここで、記念撮影をします。映画に使用したという木馬の方が本物らしいという意見もありますが、その木馬は、チャナッカレの港近くにあるようです。
シュリーマンが発見した財宝は、本当は、トルコ政府との約束では、半分はトルコに渡すはずだったそうですが、すべて、ドイツに持ち帰り、第一次大戦、第二次大戦を経て、行方不明となってしまいました。爆撃でほとんど、消失したという説もありますが、まだ、誰かが、密かに隠し持っているという説も強く、是非、出てきて欲しいところです。
木馬の中です。
入り口に続く城壁です。
↓上の写真の通路を進んで、振り返って撮った写真。
入り口近くに、家畜を飼っていたそうです。
海が見えますが、昔の海岸線は、もっと近くだったそうです。
第1市の遺跡です。
これは、上の遺跡のすぐ横にある遺跡です。第2市です。上の部分と500年の差があります。ここにも猫ちゃんもいました。
これは、第1市で、日干し煉瓦で出来ています。
第2市、3市、4市、6市の遺跡が入り組んでいます。
第6市、7市です。
第8市時代の聖域です。ここで、ペルシア王が雄牛100頭を、また、アレキサンダー大王がBC334年に神々への供え物を捧げたそうです・
第9市、ローマ支配時代に造られた小劇場です。
第6市の南門付近です。
、
復元図は、こんな感じです。
おまけで、チャナッカレのホテルから見た夕日です。
動画でも、お楽しみ下さい。
トロイ遺跡の場所は、
テリーの部屋 Part 1 はこちらです。http://terry658.blog.so-net.ne.jp/
小さな頃の夢、トロイの遺跡は、伝説ではなく、実在しているということを信じて、商人として成功した後、私財を使って、発掘し、見事に、トロイ遺跡を発見する。
小さい頃の夢を実現したいと思う人は、沢山いるでしょうが、なかなか、実現できないのが世の常です。そういう中で、成功したのは、すごいと思っていました。
実際の遺跡を見ると、他のトルコの遺跡に比べるとすごく、地味なものです。
まず、トロイ文明は、9市に分かれるそうです。
第1市:BC3000-2600, 初期青銅器時代、小麦やオリーブを生産する農村集落、織物なども盛んに造られた。家裁により消失。
第2市:BC2600-2300、大変に繁栄した初期の都市で、ロクロを使った登記製品や金・銅製品など、高い文明であった。侵略者によって破壊された。シュリーマンが発掘したのもこの第2市と言われている。
第3・4・5市:BC2300-1900、衰退期、見るべき遺跡は残っていない。
第6市:BC1900-1300、トロイの最盛期、堅固で、見事な防衛システムを備えた城壁などを見ることができる。大地震で崩壊した。
第7-a市:BC1300-1200、トロイ戦争が起こった時期
第7-b市:BC1200-900、フリギアの植民地であった時期
第8市:BC900-350、ギリシア人が新しい町を開き、イリオンと名付ける。
第9市:BC350-AD400、BC344 にやってきたアレキサンダー大王がアテナ神殿の建設を命じた。ローマ皇帝もこの地を訪れた。
トロイは、ダーダネルス海峡近くにあり、海路、陸路の交通の要所にあり、昔から、経済的に潤っていたそうです。トロイ戦争は、トロイの王子パリスが、スパルタの后ヘレンを奪ったために発生したと言われていますが、裕福なトロイの財宝を貧しいギリシアの都市国家が狙ったものとも言われています。
ダーダネルス海峡は、第一次大戦で、トルコが、イギリス、インド、オーストラリア、ニュージーランドの海軍を相手に戦い、打ち破ったことで、有名。この海峡で、50万人が戦死し、内トルコは26万人以上戦死したそうです。トルコの死者の多くは14-15歳の若者だったそうです。
交通の要所は、昔から戦争の場所になったのもやむを得ないことかもしれません。
これが、トロイの木馬です。
トロイ戦争の時に、トロイを攻めあぐねたギリシア軍が、トロイの木馬に兵士50人を密かに忍ばせて、トロイ城の前に置いて、退却したと見せかけて、船を出発させて、島影に隠れて、夜を待ち、トロイの人たちが、勝利の酒で、酔いつぶれるのを待って、木馬から兵士が出て、城門をあけて、ギリシア軍を引き入れトロイの城を落としたとされていますが、これにも、別の説があります。トロイの城壁は、地震で、崩れて、そこから、ギリシア軍が侵入して、トロイを打ち破ったもので、木馬は、その後、海の神ポセイドンに捧げたというものです。
話としては、前者の方が面白いですね。トロイ遺跡の前に木馬が飾ってあります。
木馬が、すごく、新しいのですが、一応、ここで、記念撮影をします。映画に使用したという木馬の方が本物らしいという意見もありますが、その木馬は、チャナッカレの港近くにあるようです。
シュリーマンが発見した財宝は、本当は、トルコ政府との約束では、半分はトルコに渡すはずだったそうですが、すべて、ドイツに持ち帰り、第一次大戦、第二次大戦を経て、行方不明となってしまいました。爆撃でほとんど、消失したという説もありますが、まだ、誰かが、密かに隠し持っているという説も強く、是非、出てきて欲しいところです。
木馬の中です。
入り口に続く城壁です。
↓上の写真の通路を進んで、振り返って撮った写真。
入り口近くに、家畜を飼っていたそうです。
海が見えますが、昔の海岸線は、もっと近くだったそうです。
第1市の遺跡です。
これは、上の遺跡のすぐ横にある遺跡です。第2市です。上の部分と500年の差があります。ここにも猫ちゃんもいました。
これは、第1市で、日干し煉瓦で出来ています。
第2市、3市、4市、6市の遺跡が入り組んでいます。
第6市、7市です。
第8市時代の聖域です。ここで、ペルシア王が雄牛100頭を、また、アレキサンダー大王がBC334年に神々への供え物を捧げたそうです・
第9市、ローマ支配時代に造られた小劇場です。
第6市の南門付近です。
、
復元図は、こんな感じです。
おまけで、チャナッカレのホテルから見た夕日です。
動画でも、お楽しみ下さい。
トロイ遺跡の場所は、
テリーの部屋 Part 1 はこちらです。http://terry658.blog.so-net.ne.jp/
木馬より、朽ち果てた煉瓦の方が魅力的に見えるな~。
by たいへー (2010-07-26 16:44)
こんにちは。これが有名なトロイの木馬ですね〜
夕陽が素晴らしい〜〜〜素敵な一日の締めくくりとなりましたね。(^。^)
by yakko (2010-07-26 17:26)
トロイの遺跡、小学生時代あこがれました。
いいですね~ トロイの木馬、映画のほうが本物に近いですね(;^_^A アセアセ・・・
by green_blue_sky (2010-07-26 18:50)
私も小学生のころ、シュリーマンの発掘の話に胸を躍らせたものです。
その実際の場所に立たれた感激はいかばかりだったことでございましょう。
動画でも拝見させて頂き、現地に行ったような気持ちになりました。
有難うございました。
by 青い鳥 (2010-07-26 19:14)
夕陽が素晴らしく綺麗!!
トロイの木馬、大きいものですね。
by mamii (2010-07-26 19:42)
あの有名なトロイの木馬、大きいですね。
中も入られて・・・、あの窓のところへ上がったのね。
夕日が素敵♪
by せつこ (2010-07-26 21:22)
恥ずかしながら、トロイの木馬、はじめて見ました。
by こうちゃん (2010-07-26 22:57)
たいへーさん
まあ、木馬は、考古学的な価値は、全くありませんので、煉瓦の方が魅力があるのは、正しい感覚と思います。
yakkoさん
ナイス&コメントありがとうございます。
green_blue_sky さん
映画の方の木馬は、見損ねました。まあ、ネットで、見ましたがーー。映画の方が、良くできていて、本物らしいですね。
青い鳥 さん
シュリーマンのトロイの遺跡の発掘の話は、すごく、感激しました。シュリーマンについては、評価が分かれているようです。伝説・神話だったたものから、遺跡を発見してくれたということは、ものすごく大きく評価されていrますが、反面、考古学的な知識がなかったので、遺跡をめちゃくちゃにしてしまったことで、評判が悪いというのもあります。私は、それでも、シュリーマンは偉大なことをしたと思っています。
mamiiさん
トロイの木馬、意外と大きいものでした。ナイス&コメントありがとうございます。
せつこさん
トロイの木馬自体は、あとで、造った者ですから、あまり、意味のないものですが、まあ、これも、旅の記念なので、木馬に入って、記念撮影をしました。
by テリー (2010-07-26 23:07)
私も木馬に入ったので懐かしいです。
この木馬の廻りに巨大なドングリがなるので驚いたものです。
by 旅爺さん (2010-07-27 06:56)
こうちゃん
トロイの遺跡自体、他の遺跡に比べると地味ですので、ツアーに入れないものがおおいですね。従って、トロイの木馬もあまり、写真には出てきていないのかもしれません。
旅爺さん
木馬の周りに大きなきがありましたね。ドングリの木でしたか、ーー。ナイス&コメントありがとうございます。
by テリー (2010-07-27 09:21)
トロイの木馬、大きいですね。
by Silvermac (2010-07-27 20:42)
トロイの木馬って想像していたより大きいです^^;
by Lupin (2010-07-27 22:25)
コンピュータウィルスの名前にもなった逸話ですよね
by でいぶさん (2010-07-27 22:31)
アキレスはどのあたりでやられちゃったんでしょうね。
トロイは映画になるまで、内容をほとんど知りませんでした。^^;
by ジョルノ飛曹長 (2010-07-28 08:24)
この中入ってみたいなぁ〜^^
by achami (2010-07-28 11:17)
わ~、これが、木馬の内部!
貴重なお写真ですネ~^^ありがとうございますv
by つなみ (2010-07-28 16:59)
Silvermacさん
そうですね。結構な人数の人が入れそうですね。
Lupin さん
↑結構大きいですね。
でいぶさん
コンピュータウイルスの名前で、初めて知った人も多いでしょうね。
ジョルノ飛曹長さん
アキレスの話もシュリーマンがトロイの場所を特定する手がかりの一つだったようですから、多分、その場所も推定されていると思います。今回では、時間がなく、よくわかりませんでした。
achamiさん
なんと言ってもBC3000年の文明だから、すごいですね。神話と実話の境目ですね。
by テリー (2010-07-28 17:06)
トロイの木馬ってこんなに大きかったんだ~
遺跡の雰囲気が凄いですね。
レンガが粘土で作ったように見えるけど
この地方の文化なんでしょうね。
by 響 (2010-07-28 21:56)
トロイの木馬って大きいんですね!
by piano (2010-07-29 07:23)
つなみさん
木馬の中に入って、記念撮影するのは、日本時だけでなかったですね。ナイス&コメントありがとうございます。
響さん
伝説か何かでは、鳥居の木馬に50人の兵士が隠れたとありますので、大きさは、これくらいだったのではないでしょうか。
ナイス&コメントありがとうございます。
pianoさん
↑響さんへの返答と同じ。ナイス&コメントありがとうございます。
by テリー (2010-07-29 17:55)
こんにちは・・・遅くなりました。
トロイの木馬って中に入れるのですね!
有名なトロイの木馬の話ですが、後者お話ははじめてです。
勉強いたしました!
by あら!みてたのね (2010-07-30 15:19)