トルコ旅行記 第27回:エフェソス都市遺跡その1 [トルコ旅行]
ワールドカップ、惜しかったですね。ま、ここまでやれば、悔いはないでしょう。
さて、トルコ旅行記の続きです。今日から2回に渡ってエフェソス都市遺跡の紹介です。なんと言っても、世界代々クラスのローマ遺跡ですから、見所はたくさんありますね。
古くからの伝説では、エフェソスは、女性戦士で、名高いアマゾネスによって、建設されたそうです。この街の名前は、地母神の王国のという意味を持つAPASAS (アパサス)から来ているそうです。エフェソスには、青銅器時代末期頃から既に人が住み始めている。
BC1200年にイオニア人の移民活動が始まった。言い伝えでは、エフェソスの町はアテネ王コドロスの息子アンドロクロスによって2度作られたそうです。予言者の言葉で「魚と猪に導かれた地」とされたカイステル(小メンデレス川)湾口に建設された。BC7世紀、エフェソスは、キンメル人の攻撃で一度は崩壊したが、リディア王の統治下で、地中海世界の中で最も裕福な町となった。ペルシア王キュロスが、リディア王クロエソスを破ると、エフェソスは、それまでの同盟関係にあったイオニアの諸都市との関係を断ち切り、ペルシアの支配下に入り、BC334年アレキサンダー大王が現れるまでの50年間安定した時期を送った。アレキサンダー大王の12人の将官の一人で、大王の死後、この地の支配者となったリシマコスは、町の開発に力を注いだ。彼は、町全体を2.5km南西に移し、パナユル山とブルブル山の斜面に城壁を巡らした。住民は、移住を拒否したが、その後、洪水で、町の下水道がふさがり、家が崩壊したので、リシマコスは、強制的に移住させた。BC281年にエフェソスは、再建されて、地中海沿岸で重要な商業港の一つになった。
BC129年、ローマ人は、ベルガモン王アッタロスの遺言と偽って、小アジアの全ての領土をローマ皇帝に寄進させた。記録によると、その当時、エフェソスの人工は20万人だそうです。BC1世紀、重税に反対して、暴動が発生するが、ローマ軍の力で鎮圧される。現在エフェソスに残っている遺跡の数々は、アウグストゥス帝以降のものだそうです。
1世紀以降、エフェソスにキリスト教を広めようと言う者が現れ、ローマからの迫害から守ろうとしました。エフェソスは、アルテミス信仰が強い土地でした。聖パウロが65年から3年間布教しますが、アルテミス神の小像を作って莫大なり利益を得ていた手工職人の反感を買い、パウロは投獄される。聖ヨハネが聖母マリアを伴って、エフェソスにやって来て、福音書を著し(別の説もあるようです)、最終的に埋葬されたのが、このエフェソスです。
269年、エフェソスは、ゴート人に侵略された。381年テオドシウス帝の命令により、アルテミス神殿が閉鎖された。この時代の破壊で、エフェソスは衰退する。また、町に繁栄をもたらしていた港も、土砂の堆積で水路が狭くなり、アルテミス神殿から1.5kmの所に移設された。エフェソス遺跡の発掘は1859年大英博物館の支援で開始された。
ということで、このエフェソスは、トルコで、最大クラスのローマ遺跡と言われています。
入り口は、南と北の2カ所ありますが。我々のグループは、南口から入って、北口に抜けました。歩いて、ほぼ一時間です。
南口から入るとすぐ右に、ヴァリススの浴場があります。2世紀に作られた典型的なローマ浴場です。冷水浴、温水浴、熱水浴室、マッサージ室、脱衣所、トイレがあり、貧富の差を問わず、利用でき、市民の社交場であったそうです。
そして、国営アゴラ(集会場)があります。BC1世紀に作られたそうです。
貯水池から水が土管で運ばれたが、その土管です。
オデオン(音楽堂)がすぐ右側にあります。
オデオンの前の通りです。犬がのんびり寝ていました。
オデオン(音楽堂)です。
オデオンを出たすぐ右です。
ポリオの泉です。
97年にセクテリウス・ポリオが作った泉です。
アグラの西に位置します。
プリリタネイオンです。
エフェソスの象徴たる女神ヘスタの聖火を数世紀に渡り。日夜照り続けた場所。その聖火を守るのは、プリタンと呼ばれるプリタンと呼ばれる名家出身の男女で、神殿管理や行政職の高官であったそうです。
プリタネイオンの柱です。
プリタネイオンは、アウグストゥス帝時代に建設された。紀元3世紀に修復されたが、紀元4世紀に、破壊されたそうです。ここから、アルテミス像が発掘されて、エフェソス考古学博物館に展示されています。(http://terry658-2.blog.so-net.ne.jp/2010-06-14#more)
3本柱が残ってるのは、市庁舎だそうです。
この壁は、ヘレニズム時代に作られたそうです。
エルメスです。エルメスは、天空神のゼウスの弟です。
戦いの女神ニケです。
ルーブル博物館のサモトラケのニケが有名ですがーー。
スポーツメーカーのナイキのマークになっているそうです。
このレリーフのすぐ横に猫ちゃんがいました。
メミウスの碑です。ローマの悪性に対して、民衆が立ち上がったポントスの乱を平定しエフェソスの支配者となったローマの独裁菅のスラと息子のガイウス、孫のメミウスを祀ったものです。
右から見ると
左から見ると
クレティス通りです。
ずっと先に、セルシウス図書館がある、
ドミティアヌス神殿です。
ポリオの泉の向かいに、ドミティアヌス神殿があります。
クレティス通りの貴族の屋敷の前の通りのモザイク模様です。
動画でも、お楽しみ下さい。
参考までに、地図を、ネットから借用してアップしておきます。
エフェソスの遺跡はその2に続きます。
テリーの部屋 Part 1 はこちらです。http://terry658.blog.so-net.ne.jp/
さて、トルコ旅行記の続きです。今日から2回に渡ってエフェソス都市遺跡の紹介です。なんと言っても、世界代々クラスのローマ遺跡ですから、見所はたくさんありますね。
古くからの伝説では、エフェソスは、女性戦士で、名高いアマゾネスによって、建設されたそうです。この街の名前は、地母神の王国のという意味を持つAPASAS (アパサス)から来ているそうです。エフェソスには、青銅器時代末期頃から既に人が住み始めている。
BC1200年にイオニア人の移民活動が始まった。言い伝えでは、エフェソスの町はアテネ王コドロスの息子アンドロクロスによって2度作られたそうです。予言者の言葉で「魚と猪に導かれた地」とされたカイステル(小メンデレス川)湾口に建設された。BC7世紀、エフェソスは、キンメル人の攻撃で一度は崩壊したが、リディア王の統治下で、地中海世界の中で最も裕福な町となった。ペルシア王キュロスが、リディア王クロエソスを破ると、エフェソスは、それまでの同盟関係にあったイオニアの諸都市との関係を断ち切り、ペルシアの支配下に入り、BC334年アレキサンダー大王が現れるまでの50年間安定した時期を送った。アレキサンダー大王の12人の将官の一人で、大王の死後、この地の支配者となったリシマコスは、町の開発に力を注いだ。彼は、町全体を2.5km南西に移し、パナユル山とブルブル山の斜面に城壁を巡らした。住民は、移住を拒否したが、その後、洪水で、町の下水道がふさがり、家が崩壊したので、リシマコスは、強制的に移住させた。BC281年にエフェソスは、再建されて、地中海沿岸で重要な商業港の一つになった。
BC129年、ローマ人は、ベルガモン王アッタロスの遺言と偽って、小アジアの全ての領土をローマ皇帝に寄進させた。記録によると、その当時、エフェソスの人工は20万人だそうです。BC1世紀、重税に反対して、暴動が発生するが、ローマ軍の力で鎮圧される。現在エフェソスに残っている遺跡の数々は、アウグストゥス帝以降のものだそうです。
1世紀以降、エフェソスにキリスト教を広めようと言う者が現れ、ローマからの迫害から守ろうとしました。エフェソスは、アルテミス信仰が強い土地でした。聖パウロが65年から3年間布教しますが、アルテミス神の小像を作って莫大なり利益を得ていた手工職人の反感を買い、パウロは投獄される。聖ヨハネが聖母マリアを伴って、エフェソスにやって来て、福音書を著し(別の説もあるようです)、最終的に埋葬されたのが、このエフェソスです。
269年、エフェソスは、ゴート人に侵略された。381年テオドシウス帝の命令により、アルテミス神殿が閉鎖された。この時代の破壊で、エフェソスは衰退する。また、町に繁栄をもたらしていた港も、土砂の堆積で水路が狭くなり、アルテミス神殿から1.5kmの所に移設された。エフェソス遺跡の発掘は1859年大英博物館の支援で開始された。
ということで、このエフェソスは、トルコで、最大クラスのローマ遺跡と言われています。
入り口は、南と北の2カ所ありますが。我々のグループは、南口から入って、北口に抜けました。歩いて、ほぼ一時間です。
南口から入るとすぐ右に、ヴァリススの浴場があります。2世紀に作られた典型的なローマ浴場です。冷水浴、温水浴、熱水浴室、マッサージ室、脱衣所、トイレがあり、貧富の差を問わず、利用でき、市民の社交場であったそうです。
そして、国営アゴラ(集会場)があります。BC1世紀に作られたそうです。
貯水池から水が土管で運ばれたが、その土管です。
オデオン(音楽堂)がすぐ右側にあります。
オデオンの前の通りです。犬がのんびり寝ていました。
オデオン(音楽堂)です。
オデオンを出たすぐ右です。
ポリオの泉です。
97年にセクテリウス・ポリオが作った泉です。
アグラの西に位置します。
プリリタネイオンです。
エフェソスの象徴たる女神ヘスタの聖火を数世紀に渡り。日夜照り続けた場所。その聖火を守るのは、プリタンと呼ばれるプリタンと呼ばれる名家出身の男女で、神殿管理や行政職の高官であったそうです。
プリタネイオンの柱です。
プリタネイオンは、アウグストゥス帝時代に建設された。紀元3世紀に修復されたが、紀元4世紀に、破壊されたそうです。ここから、アルテミス像が発掘されて、エフェソス考古学博物館に展示されています。(http://terry658-2.blog.so-net.ne.jp/2010-06-14#more)
3本柱が残ってるのは、市庁舎だそうです。
この壁は、ヘレニズム時代に作られたそうです。
エルメスです。エルメスは、天空神のゼウスの弟です。
戦いの女神ニケです。
ルーブル博物館のサモトラケのニケが有名ですがーー。
スポーツメーカーのナイキのマークになっているそうです。
このレリーフのすぐ横に猫ちゃんがいました。
メミウスの碑です。ローマの悪性に対して、民衆が立ち上がったポントスの乱を平定しエフェソスの支配者となったローマの独裁菅のスラと息子のガイウス、孫のメミウスを祀ったものです。
右から見ると
左から見ると
クレティス通りです。
ずっと先に、セルシウス図書館がある、
ドミティアヌス神殿です。
ポリオの泉の向かいに、ドミティアヌス神殿があります。
クレティス通りの貴族の屋敷の前の通りのモザイク模様です。
動画でも、お楽しみ下さい。
参考までに、地図を、ネットから借用してアップしておきます。
エフェソスの遺跡はその2に続きます。
テリーの部屋 Part 1 はこちらです。http://terry658.blog.so-net.ne.jp/
サッカー、感動しました。いい試合ばかり。でもちょっと残念な気持ち(^▽^;)
遺跡を見ている猫、とてもきれいですね~
by green_blue_sky (2010-06-30 23:20)
当時の時代を想像しながら訪れてみるのもいいですねぇ!
by ホタルの館 (2010-06-30 23:30)
おはようございます^^
迷子になりそうな広さですね~
by mimimomo (2010-07-01 08:55)
すごいですねぇ~
当時の様子を想像するのが楽しいかも(^^♪
by いとお (2010-07-01 09:17)
遺跡って素晴らしい。なるべくこれ以上崩さずに保存して欲しいです。
by つなみ (2010-07-01 10:19)
陽射しが強そうですねぇ。
でも空が青い!
by achami (2010-07-01 11:37)
美しい青空に貴重な遺跡がたくさん。
トルコに行ってみたくなりました。
その時はテリーさんのブログを参考にしますね☆
先日はお心のこもったコメントをいただきまして
ありがとうございました。
とても嬉しかったです。
感謝をこめて!
by COCO (2010-07-01 12:22)
昔の栄華は今は無く・・・
そういうものなんでしょうね。
by たいへー (2010-07-01 12:42)
しかし、よく、残っていますね。
by こうちゃん (2010-07-01 14:01)
green_blue_skyさん
サッカー、良かったですね。残念ですが、よく頑張りましたね。
ホタルの館さん
後で、写真と遺跡の何というのを照らし合わせるのが大変でした。結局、我々のツアーのガイド、ろくな説明をしていませんでした。これなら、現地の音声ガイドを借りて、自分で確認しながら見る方が確実ですね。
mimimomoさん
そうなんです。ものすごく、広いです。
いとおさん
そうですね。色々な想像をかきたててくれますね。
つなみさん
こんなすばらしい遺跡をずっと残して欲しいものですね。
achami さん
まだ、3月でしたから、暑くはなかったです。空気は澄んでいますね。
COCOさん
ナイス&コメントありがとうございます。
たいへーさん
永遠に続く栄華は、無理でしょうね。ここの都市は、結局、川が土砂で埋まって、港が遠くになるにつれて、力が弱まり、最後は、ゴ^ト人の侵略などで、衰退してゆきましたね、
こうちゃん
確かに、良く残っていたし、気長に発掘していますね。
ウィーンあたりに持ってゆかれたものもあるようですがーー。
by テリー (2010-07-01 18:07)
ここは行ったので懐かしいです。
戦いの女神ニケの前で家内と写真を撮りました。
by 旅爺さん (2010-07-01 20:08)
こんばんは。トルコは遺跡の宝庫ですね〜〜(@_@;)
by yakko (2010-07-01 22:55)
見ごたえあるエリアですね
by 花火師 (2010-07-02 01:42)
旅爺さん
戦いの女神ニケの前は、記念撮影ポイントですね。私もかかさんと一緒に撮影しました。
yakkoさん
本当に、トルコは、遺跡が多いですね。
花火師さん
特に、エフェソスは遺跡がすごいですね。
by テリー (2010-07-02 15:01)
こんにちは・・・お久しぶりです。
凄い遺跡ですね♪
往時を偲ぶに充分! 歴史の重みを感じます。。。
by あら!みてたのね (2010-07-08 16:43)