ロシア旅行記 No30 モスクワ空港からセルギエフ・ポサードへ(2015年9月1日撮影) [ロシア旅行]
モスクワ空港(ヴヌコヴァ空港)から、セルギエフ:ポサードに向かいます。
約95km、2時間かかります。
モスクワ空港からセルギエフ・ポサードまでのバス空の景観の動画は、こちらです。
https://youtu.be/fN_yg6K-3a0
モスクワ中心部は、避けて、左回りに、回っています。
レクサスですね。
約95km、2時間かかります。
モスクワ空港からセルギエフ・ポサードまでのバス空の景観の動画は、こちらです。
https://youtu.be/fN_yg6K-3a0
モスクワ中心部は、避けて、左回りに、回っています。
レクサスですね。
ロシア旅行記 No29 サンクト・ペテルブルクからモスクワへ(2015年9月1日撮影) [ロシア旅行]
旅行の序盤のサンクト・ペテルブルク3泊の観光を終えました。
モスクワを出るときは、雨模様でしたが、サンクト・ペテルブルクは、前日前まで、大雨だったそうですが、一転、快晴となり、3日間、すばらしい天気でした。
この日9月1日は、07:05 発の飛行機に乗ると言うことで、朝食は、弁当、4時40分に集合です。
3時ちょっと過ぎに、起きて、弁当を食べて、準備です。3時に起きるのは、普通の感覚では、きついですが、山登りと思えば、まあ、たいしたことは無いです。
4時40分集合でも、時間に遅れてくる人が必ずいて、結局出発は、5時10分頃。
コンデジで撮影した写真。
プレミアムオートの撮影ですが、ブレブレです。一寸反省して、次回は、F1.8-2.8 の明るいコンデジも持って行くことにしました。
ここからは、デジイチEOS 7D MK2+EF-S18-200F3.5-5.6 IS USM での撮影です。
5時少し過ぎでも、路面電車が走っていますね。
モスクワを出るときは、雨模様でしたが、サンクト・ペテルブルクは、前日前まで、大雨だったそうですが、一転、快晴となり、3日間、すばらしい天気でした。
この日9月1日は、07:05 発の飛行機に乗ると言うことで、朝食は、弁当、4時40分に集合です。
3時ちょっと過ぎに、起きて、弁当を食べて、準備です。3時に起きるのは、普通の感覚では、きついですが、山登りと思えば、まあ、たいしたことは無いです。
4時40分集合でも、時間に遅れてくる人が必ずいて、結局出発は、5時10分頃。
コンデジで撮影した写真。
プレミアムオートの撮影ですが、ブレブレです。一寸反省して、次回は、F1.8-2.8 の明るいコンデジも持って行くことにしました。
ここからは、デジイチEOS 7D MK2+EF-S18-200F3.5-5.6 IS USM での撮影です。
5時少し過ぎでも、路面電車が走っていますね。
ロシア旅行記 No28 食事編(8月31日撮影) [ロシア旅行]
ロシア旅行記 No27 エカテリーナ宮殿 その2(2015年8月31日撮影) [ロシア旅行]
ロシア旅行記 No26 エカテリーナ宮殿 その1 [ロシア旅行]
昼食の後、エカテリーナ宮殿に向かいました。
最初の宮殿は1724年にピョートル大帝の妃、エカテリーナ1世のために建設された。
宮殿の名前は、彼女の名前に由来する。
その後、女帝エリザヴェータの命により、1752年から、建築家ラストレッリの手で、バロック様式による大規模な改修が行われた。さらに、エカテリーナ2世の時代に、スコットランド人建築家チャールズ・キャメロンによって、クラシック様式での改修が行われた。
その時代、その時代、一番流行の様式で、飾られたと言うことでしょう。
エカテリーナ宮殿の外壁は、300m、青い塗装が涼やかなロシア・バロック様式の建築です。
第二次世界大戦では、レニングラードは、900日間ドイツ軍に包囲されました。
ドイツ軍は、レニングラードの一切の降伏をを認めず、補給路を断ちました。
食料が無くなり、死体から人肉を食らう凄惨な状態が常態化したそうです。なんとか、900日間持ったわけです。このときの民間人の死者は、70万人から150万人。(多数説では、110万人、日本での民間人の戦災死者数(東京大空襲、沖縄戦、広島、長崎を含む)を上回るそうです。)
このとき、エカテリーナ宮殿も、被災し、ドイツ軍に占領されましたので、琥珀の間とか、寄せ木細工の床など、疎開しなかったものは、ドイツに持ち去られました。
まだ、修復工事中ですが、公開されています。
エカテリーナ宮殿の位置は、
https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%82%A8%E3%82%AB%E3%83%86%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8A%E5%AE%AE%E6%AE%BF/@59.7356948,30.2997051,10z/data=!4m2!3m1!1s0x4696216c38496ba3:0x950bc1b43408f196
バスの停車場から、歩いて行きます。
宮殿の一部が見えてきました。
最初の宮殿は1724年にピョートル大帝の妃、エカテリーナ1世のために建設された。
宮殿の名前は、彼女の名前に由来する。
その後、女帝エリザヴェータの命により、1752年から、建築家ラストレッリの手で、バロック様式による大規模な改修が行われた。さらに、エカテリーナ2世の時代に、スコットランド人建築家チャールズ・キャメロンによって、クラシック様式での改修が行われた。
その時代、その時代、一番流行の様式で、飾られたと言うことでしょう。
エカテリーナ宮殿の外壁は、300m、青い塗装が涼やかなロシア・バロック様式の建築です。
第二次世界大戦では、レニングラードは、900日間ドイツ軍に包囲されました。
ドイツ軍は、レニングラードの一切の降伏をを認めず、補給路を断ちました。
食料が無くなり、死体から人肉を食らう凄惨な状態が常態化したそうです。なんとか、900日間持ったわけです。このときの民間人の死者は、70万人から150万人。(多数説では、110万人、日本での民間人の戦災死者数(東京大空襲、沖縄戦、広島、長崎を含む)を上回るそうです。)
このとき、エカテリーナ宮殿も、被災し、ドイツ軍に占領されましたので、琥珀の間とか、寄せ木細工の床など、疎開しなかったものは、ドイツに持ち去られました。
まだ、修復工事中ですが、公開されています。
エカテリーナ宮殿の位置は、
https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%82%A8%E3%82%AB%E3%83%86%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8A%E5%AE%AE%E6%AE%BF/@59.7356948,30.2997051,10z/data=!4m2!3m1!1s0x4696216c38496ba3:0x950bc1b43408f196
バスの停車場から、歩いて行きます。
宮殿の一部が見えてきました。
ロシア旅行記 No25 ピョートル大帝の夏の宮殿 その2 [ロシア旅行]
年末、年始の記事が入り、中断していました。
これは、2015年8月28日から9月5日のロシア旅行の4日目の8月31日(月)の話です。
前回のロシア旅行記 No24 ピョートル大帝の夏の宮殿 その1は、こちらです。
http://terry658-2.blog.so-net.ne.jp/2015-12-26
夏の宮殿の一番の見所の噴水です。
11時から噴水が始まりますので、まだ、噴水はでていません。
噴水が始まる直前です。カメラを構えている人もいます。
これは、2015年8月28日から9月5日のロシア旅行の4日目の8月31日(月)の話です。
前回のロシア旅行記 No24 ピョートル大帝の夏の宮殿 その1は、こちらです。
http://terry658-2.blog.so-net.ne.jp/2015-12-26
夏の宮殿の一番の見所の噴水です。
11時から噴水が始まりますので、まだ、噴水はでていません。
噴水が始まる直前です。カメラを構えている人もいます。
ロシア旅行記 No24 ピョートル大帝の夏の宮殿 その1 [ロシア旅行]
サンクトペテルブルクでの観光の最終日です。
サンクト・ペテルブルクから、40km位離れたピョートル大帝の夏の宮殿に行きます。
場所は、こちらです。
https://www.google.co.jp/maps/place/Peterhof/@59.9073121,30.0074746,11z/data=!4m2!3m1!1s0x46964730d11ed9e3:0x1c82ffc2f406bf1
朝食を食べてから、バスで、ピョートル大帝夏の宮殿に向かいます。
ホテル近くのモスクワ凱旋門の傍を通過します。
トルコとの戦争に勝利したのを、記念して作られました。
寿司屋さんが、あります。
サンクト・ペテルブルクから、40km位離れたピョートル大帝の夏の宮殿に行きます。
場所は、こちらです。
https://www.google.co.jp/maps/place/Peterhof/@59.9073121,30.0074746,11z/data=!4m2!3m1!1s0x46964730d11ed9e3:0x1c82ffc2f406bf1
朝食を食べてから、バスで、ピョートル大帝夏の宮殿に向かいます。
ホテル近くのモスクワ凱旋門の傍を通過します。
トルコとの戦争に勝利したのを、記念して作られました。
寿司屋さんが、あります。