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トルコ旅行記 第42回 イスタンブール考古学博物館 [トルコ旅行]

考古学博物館は、トプカブ宮殿の第一庭園の北側にあります。

ここは、トプカブ宮殿の見学後、希望者のみ行くことになっていましたので、早めに、トプカブ宮殿の見学を終え、ここに向かいました。

シドンの遺跡の石棺が有名で、アレキサンダー大王の石棺はヘレニズム時代BC300年頃に制作されたと推定されていますが、ほぼ完全な形で残っています。

石棺以外では、ギリシア、ローマ時代の彫像でも有名です。
これが、考古学博物館です。

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トルコ旅行記 第41回トプカブ宮殿 [トルコ旅行]

コンスタンティノープルを征服したメフメット2世が1467年に建てた宮殿です。
トプカブ宮殿の名前の由来は、ボスポラス海峡を望む場所に大砲が備えられていたことからトプ(大砲)、カブ(門)、宮殿(サライ)と呼ばれたそうです。
トプカブ宮殿です。

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トルコ旅行記 第40回:アヤソフィア博物館 [トルコ旅行]

トルコ旅行記に戻ります。

アヤソフィアは、ビザンツ建築の最高傑作とされています。場所は、旧市街地のスルタンアフメット・ジャーミィ(ブルーモスク)とトプカブ宮殿の間にあります。
西暦325年コンスタンティヌス1世により、アヤソフィアの建設が始まり、360年コンスタンティヌス2世によって完成しました。その後、何回かの火災で、消失し、537年に皇帝ユスティニアヌスの命令で、6年近くの歳月を掛けてビザンツ様式の大聖堂が完成しました。この後、ビザンツ帝国が終わりを告げるまで、ギリシア正教の大本山としてあがめられていました。1453年にオスマントルコ メフメット2世がコンスタンティノープルを征服すると、大聖堂はイスラム教のモスクに改修されます。堂内を飾ったモザイクは漆喰で塗り込められ、4本のミナーレが追加されました。漆喰で、塗り込められたモザイクも1931年にアメリカの調査隊によって発見されて、脚光を浴びることになりました。翌年、初代、大統領アタチュルクによって、ここを博物館として一般公開することになりました。こういう所を見ても、アタチュルクの決断の早さは立派ですね。

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トルコ旅行記 第39回地下宮殿 [トルコ旅行]

イスタンブールの旧市街地に数カ所、地下の貯水池があります、この貯水池は、ヒッポドdローム(ローマ時代の競技場)に隣接した地下貯水池で、4世紀から6世紀、コンスタンティヌス帝からユスティニアヌス帝の時代に造られたものだと言われています。
中には、360本のコリント式の支柱が規則正しく並んでいます。ライトアップされていますので、幻想的です。

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トルコ旅行記 第38回グランドバザール [トルコ旅行]

トルコ旅行記の続きです。(旅行期間:2010.03.12-~2010.03.24)

3月20日の軍事博物館で、オズマントルコの軍楽隊の演奏を聴いた後、また、旧市街に戻って、グランドバザールに行きました。
新市街から旧市街に行くときは、このガラタ橋を渡ります。
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旧市街の中は、交通渋滞がものすごく、ほんの僅かの距離を移動するのに、すごく時間がかかります。
幸い、ツアーの人数が少なかったので、電車に乗り換えて行くことになりました。
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ベヤズット駅から歩きです。

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グランドバザールです。
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トルコ旅行記 第37回:ブルーモスクとローマ時代の競技場跡 [トルコ旅行]

スルタンアフメト・ジャーミーが正式名称ですが、ブルーモスクの愛称の方が有名ですね。
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スルタンアフメト・ジャーミーは、6本のミナーレ(尖塔)と高さ43m、直径27.5mの大ドーム、4つの副ドーム、30の小ドームをもっています。
天才建築家スィナンの弟子のメフメット・アーが設計し7年かけて、1616年に完成しました。6本のミナーレをもつモスクは、極めて珍しく、一説には、スルタンからミナーレは、黄金(アルトゥンAltun)と言われたのを、メフメット・アーが、6(アルトゥ Altu)と聞き違いをしたためとも言われています。

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トルコ旅行記 第36回:イスタンブール軍事博物館 [トルコ旅行]

フォーシーズンズホテルのレストランで、昼食を食べた後、軍事博物館でのオスマントルコ軍楽隊の演奏を聴きました。演奏は、15:00 と15:30 の2回行われます。
曜日によっては、この演奏は行われませんので、当初予定を変更して、イスタンブールに到着した日となりました。軍事博物館には、約5万点の所蔵品があり、その内、9000点を展示しているそうですが、お目当ては、オスマントルコの軍楽隊の演奏です。
これが、軍事博物館です。
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この博物館の前の庭には、大砲や戦闘機が飾ってありました。

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トルコ旅行記 第35回:フォーシーズンズホテルのレストランでの昼食 [トルコ旅行]

これは、予約投稿です。
今日から2泊3日で、唐松岳から五竜岳まで、縦走してきます。
五竜岳と鹿島槍の写真を撮影が目的です。次回、できたら、鹿島槍~五竜岳の縦走をしたいので、そのコースの下見も兼ねています。最近、高齢者の登山で、遭難が沢山発生していると言うことで、十分な注意、装備をしていきますので、大丈夫と思っています。荷物は、10Kg 以内に抑えようと思っていますが、良い写真を撮影するには、EOS 5D MK2+EF24-105mm は、持って行きたいし、三脚も必要だし、フィルターもーー、しかも、寒さ対策、雨対策もとなって行くと、軽く10Kg は超えそうです。10Kgを超えるとロープウエーで、荷物料金をとられますので、それも、いやだしーー。


さて、イスタンブールの旧市街にあるフォーシーズンズホテルのレストランでの昼食です。
ここが、昔、刑務所だったとは、想像できないですね。
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一緒に記念撮影に応じてくれます。
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ここのお庭が、又きれいです。
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トルコ旅行記 第34回チャナッカレからイスタンブールへ [トルコ旅行]

いよいよトルコ旅行も、大詰め、最後の都市のイスタンブールに向けて出発です。2010年3月20日、旅行開始後9日目です。(旅行期間: 2010.03.12~2010.03.24)
朝7時に出発し、ダルダネルス海峡をフェリーで渡ります。
朝チャナッカレ付近で、渋滞しやすいので、渋滞が起きる前に、町を抜けようというものです。

これが、フェリーです。このフェリーで、アジアからヨーロッパへと移動するわけです。
同じ国で、アジアとヨーロッパが共存するというのは、不思議な感じです。

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フェリーが出発です。
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トルコ旅行記 第33回トロイ遺跡 [トルコ旅行]

トロイ遺跡は、是非みたい遺跡であった。学生時代、ドイツ語の教科書で、シュリーマンの古代への情熱というのがあって、すごく、感動して読んだ記憶があります。
小さな頃の夢、トロイの遺跡は、伝説ではなく、実在しているということを信じて、商人として成功した後、私財を使って、発掘し、見事に、トロイ遺跡を発見する。
小さい頃の夢を実現したいと思う人は、沢山いるでしょうが、なかなか、実現できないのが世の常です。そういう中で、成功したのは、すごいと思っていました。
実際の遺跡を見ると、他のトルコの遺跡に比べるとすごく、地味なものです。

まず、トロイ文明は、9市に分かれるそうです。

第1市:BC3000-2600, 初期青銅器時代、小麦やオリーブを生産する農村集落、織物なども盛んに造られた。家裁により消失。

第2市:BC2600-2300、大変に繁栄した初期の都市で、ロクロを使った登記製品や金・銅製品など、高い文明であった。侵略者によって破壊された。シュリーマンが発掘したのもこの第2市と言われている。

第3・4・5市:BC2300-1900、衰退期、見るべき遺跡は残っていない。

第6市:BC1900-1300、トロイの最盛期、堅固で、見事な防衛システムを備えた城壁などを見ることができる。大地震で崩壊した。

第7-a市:BC1300-1200、トロイ戦争が起こった時期

第7-b市:BC1200-900、フリギアの植民地であった時期

第8市:BC900-350、ギリシア人が新しい町を開き、イリオンと名付ける。

第9市:BC350-AD400、BC344 にやってきたアレキサンダー大王がアテナ神殿の建設を命じた。ローマ皇帝もこの地を訪れた。

トロイは、ダーダネルス海峡近くにあり、海路、陸路の交通の要所にあり、昔から、経済的に潤っていたそうです。トロイ戦争は、トロイの王子パリスが、スパルタの后ヘレンを奪ったために発生したと言われていますが、裕福なトロイの財宝を貧しいギリシアの都市国家が狙ったものとも言われています。

ダーダネルス海峡は、第一次大戦で、トルコが、イギリス、インド、オーストラリア、ニュージーランドの海軍を相手に戦い、打ち破ったことで、有名。この海峡で、50万人が戦死し、内トルコは26万人以上戦死したそうです。トルコの死者の多くは14-15歳の若者だったそうです。
交通の要所は、昔から戦争の場所になったのもやむを得ないことかもしれません。

これが、トロイの木馬です。
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トロイ戦争の時に、トロイを攻めあぐねたギリシア軍が、トロイの木馬に兵士50人を密かに忍ばせて、トロイ城の前に置いて、退却したと見せかけて、船を出発させて、島影に隠れて、夜を待ち、トロイの人たちが、勝利の酒で、酔いつぶれるのを待って、木馬から兵士が出て、城門をあけて、ギリシア軍を引き入れトロイの城を落としたとされていますが、これにも、別の説があります。トロイの城壁は、地震で、崩れて、そこから、ギリシア軍が侵入して、トロイを打ち破ったもので、木馬は、その後、海の神ポセイドンに捧げたというものです。
話としては、前者の方が面白いですね。トロイ遺跡の前に木馬が飾ってあります。
木馬が、すごく、新しいのですが、一応、ここで、記念撮影をします。映画に使用したという木馬の方が本物らしいという意見もありますが、その木馬は、チャナッカレの港近くにあるようです。

シュリーマンが発見した財宝は、本当は、トルコ政府との約束では、半分はトルコに渡すはずだったそうですが、すべて、ドイツに持ち帰り、第一次大戦、第二次大戦を経て、行方不明となってしまいました。爆撃でほとんど、消失したという説もありますが、まだ、誰かが、密かに隠し持っているという説も強く、是非、出てきて欲しいところです。



木馬の中です。
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入り口に続く城壁です。
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↓上の写真の通路を進んで、振り返って撮った写真。
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