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トルコ旅行記 第32回:ペルガモン遺跡アスクレピオン [トルコ旅行]

昨日は、35度を超える猛暑でした。10日後のコンペに備えて、練習ラウンドでした。
暑い中をゴルフをやるのは、シンガポールにいた頃は、日常茶飯事でしたが、日本では、久しぶりなので、水分補給に気を遣いました。大体感じがつかめましたので、猛暑の中のゴルフでも、大丈夫でしょう。
さて、トルコ旅行記の続きです。

ペルガモン遺跡のアクロポリスからバスで約20分の所に、アスクレピオンがあります。
アスクレピオンは、紀元前6世紀から紀元4世紀まで使用された総合医療センターです。
医学の神様アスクレピウスに捧げられたものなので。こう呼ばれています。
アスクレピウスは、ギリシアの医学の神様ですが、アスクレピウスの父は、医療も司るギリシアの神で、母は、テッサリア王女コロニスです。コロニスは、アスクレピウスを身ごもりながら、人間の若者と恋仲になりアポロンに殺されてしまいます。アポロンは、コロニスの火葬の時に赤子を取り出して、ケンタウロス族のキロスに預けます。アスクレピオスは、キロスから医術を学んで、有名な医者になります。彼の医術は、人々の寿命を延ばすどころか、死者をよみがえらすほどだったとそうです。それを聞いた神々の王ゼウスは怒り、雷をアスクレピウスに落として、殺してしまいます。しかし、後にゼウスは、悔やんで、アスクレピウスを医学の神として復活させたそうです。
アスクレピオンの聖なる道です。
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トルコ旅行記 第31回:ペルガモン遺跡アクロポリス [トルコ旅行]

ベルガモンの歴史は、BC323年のアレキサンダー大王の死と共に始まります。大王の亡き後、広大な領土は分割統治され、大王の遺産を手にしたシリマコスによって、新王朝が開かれたが、彼は、シリアとの戦いで戦死した。その部下のフィレタイロスがその財宝を継ぎ、BC281年にベルガモン王国を築いた。フィレタイロスの甥の、アッタロス朝のエウメネス1世の時代には、ローマと協力して、シリアを撃破して、ここに、中央アナトリアの覇者となった。交易ルートを握った王朝は、その豊富な財力を生かし、神殿や王宮を建設した。また、芸術の保護と育成にも力を注ぎ、BC2世紀には、第二のアテネとさえ呼ばれる程だったそうです。特に医療面の設備が整っていた。以後、ローマの保護下で、発展を遂げるが、8世紀のアラブ人の侵略や14世紀にオスマントルコの干渉を受け、衰退していった。

これは、入場門近くから見た城塞です。

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トルコ旅行記 第30回:イズミールのホテルからペルガマへバス移動 [トルコ旅行]

3月19日、トルコ旅行8日目です。(旅行期間は2010.03.12-03.24)
イズミールのホテルから、100km 離れたペルガモン遺跡で有名なベルガマへ出発です。


↓これが、ペルガモン遺跡です。
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朝7時40分頃出発です。これ以上遅くなるとラッシュアワーに巻き込まれ、交通渋滞で大変です。

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トルコ旅行記 第29回:イズミールの宿 [トルコ旅行]

イズミールは、エーゲ海に面しており、港湾施設では、イスタンブールについで2位です。人口は、トルコ第3位です。NATO の司令部があるそうです。

ウィキペディアを一部引用すると、

ヘロドトスによれば、紀元前1000年ごろにアイオリス人によって建設され、その後、イオニア人たちの手に渡り、文化的・商業的中心地として大きく発展した。イオニア同盟の主要な都市の一つとなる。ホメロスが暮らしていたのもここであったと言われる。リディアの攻撃(紀元前600年ごろ)によって破壊された。その後、リディアやアケメネス朝ペルシアやアレクサンダー大王によって支配された。紀元前1世紀よりローマ帝国、4世紀以降は東ローマ帝国の支配下で繁栄を謳歌する。

その後も、すごい歴史がありますが、興味のある方は 次をご覧下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%BA%E3%83%9F%E3%83%AB

イズミールの宿は、こちらです。
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ホテルの部屋からの景色です。
エーゲ海から入り込んだ湾と小さな港が見えます。

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トルコ旅行記 第28回:エフェソス都市遺跡その2 [トルコ旅行]

トルコの世界最大規模のローマ遺跡、エフェソス都市遺跡の2回目です。
ヘラクレスの門です。4世紀、ないしは、5世紀に造られたものと言われている。戦いの女神ニケのレリーフは、ヘラクレスのネメアのライオン退治を描くレリーフと共に、元々この門を飾っていたとも言われている。
19aIMG_6021ヘラクレスの門me.jpg

トラヤヌスの泉です。
2世紀に造られて、現在部分的な修復が行われている。

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トルコ旅行記 第27回:エフェソス都市遺跡その1 [トルコ旅行]

ワールドカップ、惜しかったですね。ま、ここまでやれば、悔いはないでしょう。

さて、トルコ旅行記の続きです。今日から2回に渡ってエフェソス都市遺跡の紹介です。なんと言っても、世界代々クラスのローマ遺跡ですから、見所はたくさんありますね。

古くからの伝説では、エフェソスは、女性戦士で、名高いアマゾネスによって、建設されたそうです。この街の名前は、地母神の王国のという意味を持つAPASAS (アパサス)から来ているそうです。エフェソスには、青銅器時代末期頃から既に人が住み始めている。
BC1200年にイオニア人の移民活動が始まった。言い伝えでは、エフェソスの町はアテネ王コドロスの息子アンドロクロスによって2度作られたそうです。予言者の言葉で「魚と猪に導かれた地」とされたカイステル(小メンデレス川)湾口に建設された。BC7世紀、エフェソスは、キンメル人の攻撃で一度は崩壊したが、リディア王の統治下で、地中海世界の中で最も裕福な町となった。ペルシア王キュロスが、リディア王クロエソスを破ると、エフェソスは、それまでの同盟関係にあったイオニアの諸都市との関係を断ち切り、ペルシアの支配下に入り、BC334年アレキサンダー大王が現れるまでの50年間安定した時期を送った。アレキサンダー大王の12人の将官の一人で、大王の死後、この地の支配者となったリシマコスは、町の開発に力を注いだ。彼は、町全体を2.5km南西に移し、パナユル山とブルブル山の斜面に城壁を巡らした。住民は、移住を拒否したが、その後、洪水で、町の下水道がふさがり、家が崩壊したので、リシマコスは、強制的に移住させた。BC281年にエフェソスは、再建されて、地中海沿岸で重要な商業港の一つになった。
BC129年、ローマ人は、ベルガモン王アッタロスの遺言と偽って、小アジアの全ての領土をローマ皇帝に寄進させた。記録によると、その当時、エフェソスの人工は20万人だそうです。BC1世紀、重税に反対して、暴動が発生するが、ローマ軍の力で鎮圧される。現在エフェソスに残っている遺跡の数々は、アウグストゥス帝以降のものだそうです。
1世紀以降、エフェソスにキリスト教を広めようと言う者が現れ、ローマからの迫害から守ろうとしました。エフェソスは、アルテミス信仰が強い土地でした。聖パウロが65年から3年間布教しますが、アルテミス神の小像を作って莫大なり利益を得ていた手工職人の反感を買い、パウロは投獄される。聖ヨハネが聖母マリアを伴って、エフェソスにやって来て、福音書を著し(別の説もあるようです)、最終的に埋葬されたのが、このエフェソスです。
269年、エフェソスは、ゴート人に侵略された。381年テオドシウス帝の命令により、アルテミス神殿が閉鎖された。この時代の破壊で、エフェソスは衰退する。また、町に繁栄をもたらしていた港も、土砂の堆積で水路が狭くなり、アルテミス神殿から1.5kmの所に移設された。エフェソス遺跡の発掘は1859年大英博物館の支援で開始された。

ということで、このエフェソスは、トルコで、最大クラスのローマ遺跡と言われています。

入り口は、南と北の2カ所ありますが。我々のグループは、南口から入って、北口に抜けました。歩いて、ほぼ一時間です。

南口から入るとすぐ右に、ヴァリススの浴場があります。2世紀に作られた典型的なローマ浴場です。冷水浴、温水浴、熱水浴室、マッサージ室、脱衣所、トイレがあり、貧富の差を問わず、利用でき、市民の社交場であったそうです。
01IMG_5967a1ヴァリウスの浴場me.jpg

そして、国営アゴラ(集会場)があります。BC1世紀に作られたそうです。
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貯水池から水が土管で運ばれたが、その土管です。
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トルコ旅行記 第26回:聖母マリアの家 [トルコ旅行]

ここ1週間、すごく、忙しい状態が続いて、ブログの更新、皆様の所への訪問が出来ない状態でしたが、今日は、少し、時間がありますので、更新します。
全米オープンゴルフ、石川遼君、最終日こそ、崩れましたが、すばらしい活躍でしたね。これを糧に今後一層、頑張ってほしいですね。
宮里藍ちゃん、頑張りましたね。今期4勝目、世界ランキング1位というのは、すごいですね。昨年、やっと1勝して、メンタル面で、楽になったのでしょうね。我々のへぼゴルフでも、メンタル面の影響は大きいですが、プロは、もっと、重圧がすごいのでしょうね。

さて、トルコ旅行も後半の7日目の3月18日の話に入っています。(旅行期間2010.03.12~2010.03.24)
前回は、エフェソス考古学博物館を紹介しました。今日は、エフェソスの遺跡と行きたいところですが、ここは、トルコの中でも最大クラスのローマ遺跡で、写真整理、動画整理に、もう少し、時間が欲しいところなので、このエフェソス遺跡の中にある聖母マリアの家・教会を紹介します。エフェソス遺跡が以下に大きいものか、後で、アルテミス神殿からバスで、聖母マリアの家まで、移動するところの動画を入れてありますので、以下に遺跡が大きいのかわかると思います。

聖母マリアが晩年過ごした家です。
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何故トルコに、聖母マリアが晩年、過ごしたのだろう?とちょっと不思議になりますが、ま、キリスト教が、エルサレムから、トルコへと次第に広がっていったようですから、まあ、そういうこともあるのかと自分勝手に納得もしました。

中は、小さな教会になっています。中は、残念ながら撮影禁止です。

壁にこんなレリーフもありました。
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トルコ旅行記 第25回:エフェソス考古学博物館 [トルコ旅行]

女子プロゴルフで、飯島 茜さんが2年ぶりに優勝です。おめでとうございます。
たまたま、私が通うゴルフ練習場に茜さんも来ていまして、前に優勝したときは、大きな垂れ幕が出ていました。今回もきっと出ると思います。この練習場に来る人は、陰ながら応援している人が沢山居ると思います。

さて、今日は、エフェソス考古学博物館です。
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3月18日、旅行7日目です。旅行も後半に入りました。(2010.03.12~2010.03.24)
ここには、エフェソス遺跡から発掘された約1000点が展示されています。
まずは、アルテミス像です。
大きなアルテミス像は二つありますが、一つは、アルテミス神殿に飾られていたという紀元前1世紀頃の物です。
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トルコ旅行記 第24回:パムッカレからイズミールへ向かう途中の皮製品店 [トルコ旅行]

前回は、蛇嫌いな人には、申し訳ないレポートでした。

今回は、パムッカレからバスで、イズミールへ向かう途中の皮製品店のお話です。

私たちが入ったツアーは、現地のツアー会社が企画して、そこの会社のバスで、回りましたが、途中、3ヶ所、お店に寄ることが計画されていました。トルコ絨毯(既に紹介済み)、2番目が今回紹介する皮製品店です。

これが、そのお店です。

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お店に入ると、そのお店の専属のモデルによるファッションショーです。

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トルコ旅行記 第23回:パムッカレその2 [トルコ旅行]

パムッカレのきれいな石灰棚は前回紹介しましたが、ソニーのコンデジDSC-HX5V のスイングパノラマ写真もこういう風景には、役に立ちます。
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